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逆境どう乗り越えるか 柔道金メダリストが語る成長の転機とは

THE ANSWER 10/3(月) 12:05配信

ケガをいかに乗り越えるか、柔道五輪3連覇・野村忠宏の場合は

 アスリートにとってケガはつきもの。過度の練習で身体を痛めてしまうケースや試合中のアクシデントで負傷するケースなど、シチュエーションは様々だ。ケガとの向き合い方も人それぞれだろう。

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 そんな逆境をどう乗り越えていけばいいのか――。今回、柔道金メダリストの野村忠宏さんに話を聞いた。

 野村さんといえば、言わずと知れた柔道界のレジェンド。1996年のアトランタ大会、2000年のシドニー大会、2004年のアテネ大会と男子60キロ級で五輪3連覇を果たした。そんな名選手も30代に入ってから度重なるケガに悩まされてきたという。

「日常生活の中で膝がぶれたり、関節がずれるような時があるんですよ。体をひねって何かを取ろうとした時などですね。少し身体をずらすことなどが重なると膝に水が溜まってしまうことがある。すでに半月板や軟骨がいい状態じゃないですからね」

 華々しい競技人生の裏で直面した数々の負傷。1999年の左膝靭帯損傷、アテネ五輪後の2007年の右膝前十字靭帯断裂など選手生命にかかわるような大怪我もあった。「最高の柔道を作り上げたいという思いに体がついてこなかった。最後はボロボロでしたね」。そう語る野村さんだが、一方で年齢による肉体の衰えや相次ぐ負傷が技術の向上につながったと振り返る。

ケガによって生まれたイメージと現実のギャップ

「実は柔道の技術を、しっかりと考え始めたのは20代中盤に入ってからなんですよ。もちろん中学生や高校生の時から一生懸命やっていたんですが、ただ、自分のしっかりとした技術を突き詰めていくというところまでは至っていませんでした」

 野村さんは天理大時代にロサンゼルス五輪60キロ級金メダリストの細川伸二氏にハードな乱取りを課され、自らを極限まで追い込む意識を植え付けられた。だが、柔道の技術について真剣に考えるようになったのはケガをするようになってからだという。

「技術について本気で考えるようになった理由は、ケガや年齢を積み重ねることで自分のイメージと体のギャップを感じるようになったからです。簡単に言えば以前なら感覚的にできていたことができなくなり、技が単純にかからなくなってしまった。だから、ガムシャラになって練習に取り組みつつも、その姿を見た細川先生がアドバイスをくれたんです」

 野村さんは今夏、大塚製薬株式会社が取り組む「ポカリスエット エールと、ともに。 ブカツ応援キャラバン」の一環で、神奈川県の桐蔭学園高を訪問し、全校生徒対象の講演会と柔道部への指導を実施。その際、柔道部員に自身の得意技である背負い投げをつり手、引き手、足の動きなどのテクニックを伝授した。その中で繰り返し実演したのは軸足の一歩目の踏み込みを使い分ける点だったが、この技術もケガをしたことで試行錯誤し、身に着けたものだという。

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最終更新:10/3(月) 17:54

THE ANSWER

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