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家康にも真っ向から逆らった“天下の御意見番” 大久保彦左衛門の「恍惚と不満」

Book Bang 10/3(月) 10:00配信

 私達の世代にとって大久保彦左衛門といえば東映映画『家光と彦左と一心太助』ですね。登城には駕籠がわりに大だらい、三代将軍徳川家光の御意見番として大活躍した。太助の中村錦之助、彦左の月形龍之介、思い出しますねえ。東宝でもエノケンこと榎本健一を太助に『天晴れ一心太助』を撮っている。脚本はなんと後の世界の巨匠黒澤明。どんな彦左と太助だったのか、ちょっと見てみたい気がしますね。

 大久保彦左衛門の手になる『三河物語』は「徳川家に七代にわたってつかえた大久保家はそこらの馬の骨とは違う」とばかりにつづった徳川家、大久保家の物語。大久保家門外不出のベストセラーという。門外不出でベストセラーとはこれいかにというところだが、家康が「元和偃武」(和をはじめ武をやめる)と一種の平和宣言をかかげたのが大坂夏の陣の三ヶ月後。世の中が静謐になると無骨な武辺者よりも心利いた能吏がおのずと重宝されるようになるのは世の常で、時代遅れとなった憤懣やるかたない武辺派譜代家臣団が熱烈な読者となってベストセラーになったものらしい。

 家康を「御主様」といったり「相国様」といったり「家康」と呼び捨てにしたり、彦左衛門は場面に応じて使い分けているのではないかと著者佐藤雅美さんは見るが、どうしてどうしてなかなかのエンターテイナーである。「門外不出」どころか「実はこんなものを書いてみたんだがね」などとささやいて昔の仲間に読ませていたのかもしれない。

 本書『侍の本分』は徳川家、大久保家の由来と戦国時代の締めくくり、信長、秀吉、家康の攻防を、徳川家の目線から、そしてその徳川を譜代の家臣大久保家の目線から生き生きと再現してみせた。あるときは『三河物語』に寄り添い、あるときは眉につばをつけつつ。その自在闊達な叙述は著者の独壇場である。

 同時代を生きた彦左衛門の目を通して描かれるだけに家康もいかにも人間くさい。大坂夏の陣、茶臼山に陣取った真田信繁に攻め立てられ家康陣は大混乱におちいった。彦左衛門は家康に面と向かって「御前は崩れました(逃げた)」という。家康は烈火のごとく怒る。「弓矢八幡、稀有の天道、我が一代、一度たりとも逃げたことはない」「いえ、崩れました」。強情な奴と大音声で杖を振り上げる家康はもはや「神君家康」ではない。

 三代家光は古老の昔話をよく聞いた。偏屈者だったらしい彦左衛門に辟易したのか冷たかった家康、秀忠に比べ家光は彦左衛門が気に入っていたらしい。「夜中旗奉行大久保彦左衛門忠教召れ、御閑談時をうつす」と伝わる。それはそうだろう。この頃すでに彦左衛門は『三河物語』を書き終えている。徳川歴代の戦いは誰よりも詳しい。余計なところは削り、受けるところはさらに膨らませる。いってみれば落語の古典みたいなものですな。ひょっとすると身振り手振りを交え、見たように語ってみせたか。三代目を籠絡するなど赤子の手をひねるようなものだったかもしれない。

 世に回想録は多いがよくよく気をつけなければなりませんね。寅さん没後多くの人が親友・渥美清を語った。彼は「フーン、おれにはこんなにたくさん親友がいたのか」とつぶやいたという(誰が聞いたんだ)。ま、長生きしたが勝ちかな。彦左衛門も八〇歳まで生きた。

 過日、伊東で佐藤さんと暫くぶりに酒を飲む機会があった。私の歳になると昔話がいい肴になる。バブル華やかなりし頃の新宿二丁目。明け方近くまで折り重なって呑んでいた小さなバー、競輪話。佐藤さんとのあれこれを懐かしく思い出す。それはいよいよ懐かしく美しく。彦左衛門の武辺話もこんなものだったのかも。

[レビュアー] 上野徹(元・文藝春秋会長)
※「本の旅人」2016年9月号 掲載

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最終更新:10/3(月) 10:00

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