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やはり日本の英語教育「論」は間違っている --- 神谷 匠蔵

アゴラ 10/4(火) 16:20配信

前回(http://agora-web.jp/archives/2021755.html)世界大学ランキングが所詮は英米の産業界的「使える」大学ランキングに過ぎないということを簡単に論じたが、今回はそれに関連して「日本人の英語」問題について論じてみたいと思う。

文科省を動かしてしまった英語教育改革論

日本人の英語が「問題」として議題に上る時、必ずといっていいほど議論になるのは「日本人は英語が話せない」という点である。確かに、外国人と英語で話そうとしたことのある人なら、例え帰国子女であっても子供時代に一度くらいは「英語が話せない!」と痛感した経験があるはずだと想像する。

そのような海外経験者達の体験報告は海外旅行や短期留学等が一般化していく中で蓄積されていき、それを基礎に現行の「日本の英語教育」の問題点がひっきりなしに指摘され、議論されてきた。

どうして日本人は英語が話せないのか。このままでいいのか。同じ東アジア文化圏の中国や韓国でさえ、英語教育に関しては日本の先を行っている。日本は世界から取り残されている。世界大学ランキングを見よ。日本人の国際舞台における存在感のなさは異常である、云々。

これを受けて現在文科省は

・英語の授業を低年齢のうちから必修化する
・中学校の以上の英語教育ではさらに授業のコマ数を増やし、また特にコミュニケーションを含む授業を増やす
・大学においても、英語で行われる講義を拡大する

というようなことを既に決定しただけでなく、現に実行に移している。

本当に「会話力」が問題なのか?

だが、ここでひとつの疑問がわく。

「日本人は英語が話せない」説が独り歩きしてしまった結果、まるで「話す」以外のことはそれなりに出来ているかのような錯覚が生じていやしないだろうか?

まず、文科省による平成26年度調査の結果(http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2015/07/03/1358071_01.pdf)を見ていただきたい。

CEFR基準というのはあまり馴染みのない表現かもしれないが、これは英仏独等の西欧語の習熟度をA1, A2, B1,B2, C1, C2の六段階で統一するためにつくられた基準で、A1が最低、C2が最高となっている。例えば英語圏の大学の学部課程に正規留学する場合、一般的に読解、聴解、筆記及び会話の各項目で全てにおいてB2レベル以上が要求される。だが、B2程度では現地学生の平均程度の成績を残すことさえ難しいので、現実には最低でもC1以上は必須である。

ところが、調査対象の国公立高校三年生の中で、留学に必要なギリギリの最低要求水準であるB2に、読解力だけでも達しているのは僅か0.2%である。その下のB1でさえ2%であり、懸案の会話力に至ってはそもそも「B2」の項目さえない。

これがどういうことを意味するかということを具体化するために、全国規模で私立校を含めて調査をしてもこの比率自体は大きく変わらないと想定してみよう。仮にある特定年度の日本国内の高校三年生総数が100万人である(因みに平成二十五年度は約105万人(http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/002/002b/1349641.htm)である)とすると、そのうち「英語が読める」と一応言えるレベル(B2)の者の数は約二千人ということになる。

これは東大全科類の総合合格者数(約三千人強)よりも少ない。

それはつまり、東大生の少なくとも三分の一は英語読解力が不十分かもしれないということを意味する。

また、英語が得意なだけで東大に入れるわけでは勿論ないので、この二千人の全てが東大に入れるはずはない。現実にはこの二千人のうち少なからぬ部分は上智大や慶應大などの、「英語が出来る」ことが決定的アドバンテージとなるような入試システムを採用している難関大学に流れるだろう。

とすれば、英語圏への留学に最低限必要なB2レベルの「読解力」をもつ学生数は、天下の東大においてさえ半数以上にはなり得ない。

つまり、意地の悪い言い方をすれば、東大生の過半数の英文読解力は海外の名門大学どころか中堅大学に入れるかさえ怪しいレベルであるということだ。文科省調査の「0.2%」という数字が示唆しているのは、それほど残酷な現実である。

実際、TOEIC平均スコアに関する大学別データ(http://uguisu.skr.jp/toeic/ave_score.html)によれば東大学部生の平均スコアは688点だそうだが、これをETSの公式換算表(https://www.ets.org/s/toeic/pdf/toeic_cef_mapping_flyer.pdf)に照らせばおおよそB1相当である。ちなみに文科省の当初の教育目標は高校卒業時点で「英検二級程度」に到達することだったが、英検二級は公式上B1に該当するとされている。つまり東大生は確かに文科省の定めた基準をクリアしているし、少なくとも全体の上位2%には入っているということになる。

この点、さすがは何でもそつなくこなす東大生と言いたいところだが、逆に言えば文科省の目標設定(=大学受験で求められるレベル)がB1にとどまっているからこそ、本来余力を残している高学力層がそれ以上努力せず、そこで止めてしまっているのではないかと邪推したくなる。

無論、文科省がこの程度で良いと言っているからそこで止めているだけなのであれば、責任は東大生を筆頭とする高学歴層にあるというよりも、目標をわざわざ低く定めている文科省の方にあると言うべきであろう。

にも関わらず文科省は近年到達目標を準二級程度(http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/gaikokugo/__icsFiles/afieldfile/2015/07/21/1358906_01_1.pdf)にまで下げている。二級レベル(B1)でさえ海外留学に十分なレベルとは程遠いというのに、これ以上学生側のモチベーションを下げるようなことをして、文科省は一体何がしたいのだろうか。

いずれにせよ、日本人の英語力が低いのは、単に日本人にとって英語を学ぶのが難しいことであるとか、日本の旧式の英語教育が間違っているだとか、そういう次元の問題以前に、そもそも文科省の設定目標が低すぎるという根本的問題があるように思われる。

はっきり言って、学校で教えられることになど限りがある。ヨーロッパであっても、学校における外国語教育の質や方法がそんなに日本と違うわけではない。学校で習う程度では読み書きができるようになるのが精一杯で、話せるようになるかどうかは本人の努力次第というのは全ての非英語圏に共通する事情である。だが、ヨーロッパの英語教育をしっかりこなし優秀な成績を修めれば、少なくとも読解力や文章力など、学校的な座学で学べることに関してはB2レベル以上に到達することができるという点が違うのである。

ヨーロッパ人に比べて日本人の英語力が著しく低いというのであれば、それは会話云々以前にそもそも読解力自体が学校で十分に育てられていないからではないだろうか。

文科省の設定した目標さえ達成すれば「受験」は乗り切れるし「就活も余裕」なのかもしれないが、そんなローカルルールの中で勝者になったつもりでいても、結局いざ海外に出れば外国人に「あぁ。。日本人ってやっぱり」という反応をされるだけである。

とすれば、会話力が足りない云々を議論する前にまずは読解力の底上げが必要であろう。

文科省あるいは東大が高卒時点での到達目標を準二級ではなく準一級程度に変更すれば、少なくとも東大受験生はもっと伸びるからもしれない。本当に「グローバルエリート」が欲しいなら、下に合わせた目標設定をするのではなく、上に到達して欲しいレベルを目標に設定すべきだろう。

とりあえずは読解力だけでもB2レベルにすること。会話力云々の議論はそれからだ。

神谷 匠蔵

最終更新:10/4(火) 16:20

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