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「舞鶴の引き揚げの史実を知ってほしい」 世界記憶遺産認定1周年で記念事業

オーヴォ 10/5(水) 17:33配信

 終戦直後の1945年から13年間にわたり、約66万人の引き揚げ者を受け入れてきた、京都府北部の舞鶴市。2015年10月に市営の舞鶴引揚記念館が所蔵するシベリア抑留と引き揚げの資料570点がユネスコの「世界記憶遺産」に登録された。

 舞鶴市は、登録1周年記念事業や観光キャンペーンをPRするため、9月27日に東京都内で記者会見を行った。特別ゲストとして、抑留の様子を絵画に描いた木内信夫さん(92歳)が登場し、当時の様子を語った。木内さんは1945年8月にソ連軍の捕虜として、朝鮮の三合里(さんごうり)からウクライナのスリャビンスクに連行され、舞鶴港に帰還できたのは48年7月。その後、当時の様子を絵にしたためた。96年に作品およそ100点を記念館に寄贈し、そのうち記録画として40点が記憶遺産に登録された。

 ソ連兵を先頭に、材木を肩にかつぎ、凍えながらよろよろと歩く捕虜の様子を描いた絵を紹介した記念館の山下美晴館長が「この時の状況は?」と尋ねると、「自分はこの場所で死にかけた。先導するソ連兵が、私たちが“マンドリン”と呼んでいた72発入りの鉄砲を、パパパン、パパパン、と打ちながら進み、われわれはその音を頼りに歩く。ところが、音がだんだん遠くなり、変だなと思っていたら、足を滑らせて、崖から落っこちてしまった。雪の中に半分顔を突っ込み、眠くなったから寝てしまった。この時、凍死は楽だ、と感じた」と壮絶な状況を淡々と語った。

 続いて、パンを切り分ける捕虜の手元を真剣な表情で見つめる仲間たちの様子を描いた作品を紹介。山下館長が食事について質問すると「よくいわれる、1日に250グラムの黒パン。それと岩塩が入り、少ししょっぱいお湯に、ジャガイモが入っていれば“当たり”」と説明し、「実際に切ったパンの大きさは絵の4分の1か、もっと小さかったかもしれない。250グラムなんてなかったのでは。トウモロコシが入っているから、切ると形をとどめず、粉になってしまう。それを寄せ集めて山にする。切り分ける方も大変だが、見てる側も戦々恐々だった」と話した。

 最後に、ギターを奏でるソ連兵と、それを取り囲む民間人とおぼしき女性、外国人兵士、日本人捕虜が一緒になり、歌う様子を描いた作品が登場。「個人的には好きな絵の一つ。しかし、収容所に対する一般のイメージとは違う気もするが」という山下館長の問い掛けに対し、「これはどこの収容所でもあったかもしれない。めんどくさかったから描かなかったが、実際の人数はこの3~4倍。腰の曲がったおばあさんが、歌うときにはしゃんとする場面もあった。斉唱ではなく、2部3部の合唱。すごかった」と話し、「労働の合間合間に1人来て、2人集まり、お前も来い、と言われた。ロシア民謡はわれわれも知っていたから歌えた。ロシア人は明るく、いい人ばかりだった。ドイツ、イタリア、チェコ、ポーランド…、いろいろな国の人がいたが、その中に、本当に戦争が好きな人は一人もいなかった」とふり返った。

 「もともと絵描きではないから、うまくない」と謙遜する木内さん。15歳のころから、絵日記を描いていた延長だという。当時は鉛筆1本持てなかったため、帰国後、記憶が鮮明なうちに記録したことが「帰国直後の記録画としては他に類がなく、稀少性が高い」と評価された。山下館長は「少しでも広く、一人でも多くこの史実を知っていただき、後世に残していきたい」と願っている。

 こうした貴重な資料の数々は記念館で見られるほか、「舞鶴引揚記念館 全国巡回展」を12月に広島県呉市、2017年3月に長崎県佐世保市で開催予定。また、17年2月17、18両日、東京駅丸の内側駅前のKITTE地下1階の東京シティアイで「舞鶴PR展示会」が行われる。

最終更新:10/5(水) 17:33

オーヴォ