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猛り狂った海に奪われる――水にまつわる9つの短編

Book Bang 10/5(水) 8:00配信

 何より目を惹くのは、くまあやこの装画だ。熊や犬たちが楽しそうに食卓を囲み、楽器を掻き鳴らし、その向こうにはのどかな海が広がっている。この細密で素朴な絵には本書の内容が詰め込まれている。動物と人間、海と陸、生と死は対立するものではない。むしろすべては繋がり、循環しているのだ。

 児童文学で扱われるような主題が、ときに幻想的で強度のある言葉で語られ、そこに様々な音が響く。これがいしいしんじ作品の特徴だ。だからこそ彼の著作は分類不能で、いつも新しい。今回の短編集では、様々な人々が猛り狂った海に奪われる。その点で本書は、東北の震災を主題とした作品と言っていい。ただしその到達地点は驚くほど深い。

 短編「ルル」の主人公は、児童施設の子供たちが共同で飼っていた空想の犬だ。大人なのに唯一その犬が見えるおばさんは、腹を空かせたルルに温かな食べ物を注ぎ込む。それは同時に、彼女の大きな愛情でもあった。だが子供たちの誕生日のために港まで海産物を買いに行ったおばさんは、巨大な波にさらわれてしまう。残されたルルは子供たち一人一人に寄り添い、ぬくもりを与え続ける。やがて子供たちは命を育むことのできる大人となるだろう。

 あるいは短編「海賊のうた」の船長は、飛行機事故で妻と娘、ふたごの息子の一人まで失う。そして最後に残った、奇跡という名の息子さえ津波に飲まれるのだ。だが、船長は誰かに引き継いでもらうために、大切にしていたボタンを海に投げ込む。そして船長自身の死のあと、奇跡は形を変えて海から戻ってくる。「還ってきた、奇跡が、俺たちのもとへ還ってきたんだ!」

 もちろん一度死んだ者はそのままの姿では帰らない。しかしどの命も繋がっているのだとしたら、別の形で、我々は永遠に生き返り続けるのではないか。そうした古い知恵を思い出させてくれる本書は、近代小説の枠組みさえも飛び越えてしまった。

[レビュアー]都甲幸治(翻訳家・早稲田大学教授)
※「週刊新潮」2016年9月22日号 掲載

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最終更新:10/5(水) 8:00

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