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欲望に生きる男の“結末”は? 『猿の見る夢』 (桐野夏生 著)

本の話WEB 10/6(木) 12:00配信

 東日本大震災後の“ありえたかもしれない日本”を描いた『バラカ』など、現代社会を活写し続ける著者の最新作は、身勝手な欲望を抱き続ける59歳の男の物語である。

 主人公・薄井正明は、かつては大手銀行に勤務していたエリートサラリーマン。現在は出向先で、取締役まで上り詰めた。10年来の愛人・美優樹との関係も良好だが、定年を65歳まで伸ばすため、常務の椅子を狙っている。理由は“収入”だけではなく、仕事という“逢瀬の口実”を維持するためでもあった。

 会社での地位、妻、愛人という居場所を守るため、努力を続けてきた薄井。愛人宅に泊りたいのを堪え、深夜1時には帰宅し、避妊にも配慮してきた。煩悩だらけの主人公を、「これまでで一番、愛おしい男」として描いたという。

「異性である男性の気持ちは正確には分かりませんが、週刊誌に連載中、担当編集者が快哉を叫んだこともあるそうですから、薄井という人物にはリアリティがあるのかもしれません(笑)。

 私の考えでは、男性とは、何かを捨てて、何かを得るのではなく、全てを持ちたい、つまり、無くすことが耐えられない人たち。女性のように、一つの関係性を手に入れるために、一つを捨てるという思考ではないんだろうなと。モラルに厳しい現代社会では、薄井の不倫という行為は許されないでしょうが、それはあくまでも表向き。願っている人もいるはずだし、実際にそうしている人もいるはずですから」

 会社で、社長のセクハラ問題が起きた際も、出世の踏み台にするため、薄井は解決に奔走する。愛人との性愛と安定した老後――すべてを手に入れようとする男は、誰にも言えない秘密をため込んでいく。

「男性は、他者に決して心の裡を見せず“秘密”を持ちますよね。女性は他人に秘密を平気で話し、“つまらない悩み”をため込んでいく。男性の秘密、女性の悩みは、せこいものなんですが、小説の題材としてとても興味深いんです」

 物語の中盤、薄井の妻が女占い師に心酔し、家庭のバランスが崩れていく。全てを見透かしているような謎の女が、薄井が作り上げた“王国”を揺るがす展開は非常にスリリングだ。

 加えて絶妙なのは、59歳という主人公の年齢設定だ。中年ではないが老人でもない。楽しい老後を送れるかどうかの分かれ道といってもいい。無事に着地できるか、破滅を迎えるのか。欲望を隠し持つ人であれば、ページをめくる手が止まらないはずだ。

桐野夏生(きりのなつお)

1951年、金沢市生まれ。『柔らかな頬』で直木賞、『東京島』で谷崎潤一郎賞。2015年、紫綬褒章を受章した。近著に『夜また夜の深い夜』『抱く女』など。

聞き手:「オール讀物」編集部

最終更新:10/6(木) 12:00

本の話WEB

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

北朝鮮からの脱出
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