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柳田の穴が最後まで響いたホークス。投手・大谷の穴を埋めた増井と、野手・大谷のファイターズ【小宮山悟の眼】

ベースボールチャンネル 10/6(木) 11:00配信

怪我の功名?打者・大谷に脅威を感じた他球団

 今年のパリーグのレギュラーシーズンは、北海道日本ハムファイターズが、福岡ソフトバンクホークスとの争いを制し、見事に頂点に輝いた。

 交流戦後に始まった、15連勝を含む日本ハムの奇跡的な追い上げ。
 日本ハムの勝因も、ソフトバンクの敗因も、この一点に尽きるだろう。

 私は開幕前の予想で、ソフトバンクを1位、日本ハムを2位と予想した。8月末に日本ハムが追いつき、両チームのマッチレースの展開になった際にも、ソフトバンクが有利だと思っていた。

 それは、ケガで戦列を離れたソフトバンクの柳田悠岐がすぐに復帰できると思ったから。そして、日本ハムには必ず快進撃の反動が来ると考えたからだ。

 しかし、ご存知のように、柳田はシーズンの最後まで一軍の試合に復帰することはなかったし、日本ハムに大連勝の反動の波も訪れなかった。ここは日本ハムの強さを素直に称えたい。

 シーズントータルでチームをけん引し続けたのは、いうまでもなく二刀流の大谷翔平だ。取材現場でパリーグの他の5球団の首脳陣と言葉を交わすと、必ず「(大谷は)すごすぎる」という話題になった。
 私が話をしたコーチや監督の間に限っては、投手よりも打者として評価する声が多かった。あるコーチは、「投手・大谷に3連戦のうちの1試合を完全に抑えられるより、有原航平、増井浩俊、高梨裕稔らが先発して、3戦すべてに野手・大谷が出場するほうが戦いにくい」と言っていた。

不調の増井の配置転換が吉

 もう一つのポイントは、クローザー増井の先発転向だろう。オールスターゲーム以降、指のマメをつぶした大谷が登板できなかったが、増井がその穴を埋めた。

 この転向劇の成功には、日本ハムの強さの秘訣が垣間見える。
 先発転向を目指した増井は、二軍の試合から投げ始め、80球、100球、110球と徐々に球数を増やしていき、遂には一軍の試合で完投・完封勝利も上げた。

 クローザーが不調に陥った時、先発へ転向させる起用法は、日本ハム以外のチームでも考えることだ。実際に投げさせてみたら、増井に先発でやっていけるだけのスタミナがあったことは、日本ハムにとってはうれしい誤算だったろう。

 ただ、6月のあの時期に、過去2年間、抑えとしてチームに貢献してきた投手の転向に踏み切ったのは、日本ハムならではの決断だったといえるだろう。普通だったら、クローザーとして復調するまで、再調整させながらもう少し待つはずだ。

 その決断の過程には、吉井理人投手コーチの存在も大きくかかわっていただろう。吉井コーチは現役時代、先発としてもリリーフとしても活躍した名投手。増井に的確なアドバイスを送ったに違いない。

 今季の日本ハムは奇跡的な戦いぶりを見せてくれた。

 ソフトバンクの敗因についても、追い上げられるプレッシャーとか、噂として聞こえてくるベンチ内の不和とか、いくつか挙げられるが、いずれも些末なことだ。

 今季のソフトバンクは、普通に優勝してもおかしくない成績を残した。ただ、日本ハムの戦いぶりがすごすぎただけなのだ。



小宮山悟(こみやま・さとる)

1965年、千葉県生まれ。早稲田大学を経て、89年ドラフト1位でロッテ・オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)へ入団。精度の高い制球力を武器に1年目から先発ローテーション入りを果たすと、以降、千葉ロッテのエースとして活躍した。00年、横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)へ移籍。02年はボビー・バレンタイン監督率いるニューヨーク・メッツでプレーした。04年に古巣・千葉ロッテへ復帰、09年に現役を引退した。現在は、野球解説者、野球評論家、Jリーグの理事も務める。


田中周治

ベースボールチャンネル編集部

最終更新:10/6(木) 19:57

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