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「ファティマの予言」の封印を解け! --- 長谷川 良

アゴラ 10/6(木) 16:51配信

バチカン放送(独語電子版)が先月29日、報じたところによると、ローマ法王フランシスコは来年5月に聖母マリア再臨100年目を迎えるポルトガルの巡礼地ファティマを訪ねる予定だ。ファティマで1917年5月13日、3人の羊飼いの子供たちに聖母マリアが現れ、3つの予言を託した話は有名で、世界から毎年多くの巡礼者が訪ねてくる。

封印されてきたファティマの「第3の予言」は新ミレニアムの西暦2000年、教理省長官であったヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(後日のべネディクト16世)によって、「ヨハネ・パウロ2世(当時)の暗殺計画が予言されていた」と記者会見で公表したが、ファティマの予言を知る多くの専門家は「バチカンは予言の一部を明らかにしただけで、肝心の内容は公表していない」と受け取っている。

バチカンはローマ法王暗殺未遂事件(1981年)後、その予言内容を公表できたはずだが、2000年まで封印している。聖母マリアの予言を受け取った3人の羊飼いの生き証人だったルチアは、「第3の予言は喜ばしい知らせです。世界の終わりを告げたものでありません」と親戚関係者にはっきりと漏らしている。第3の予言はヨハネ・パウロ2世の暗殺計画ではないことを強く示唆しているのだ。

それではなぜバチカンは第3の予言を公表できないのか。それも「喜ばしい知らせ」にもかかわらずにだ。考えられる唯一の論理的推測は第3の予言が「イエスの再臨」を予言していたからだ。

この推測が正しいとすれば、バチカンが第3の予言の全てを公表できない事情が理解できる。偽イエスの出現を恐れるからだ。ルチアが述べたように、その知らせは喜ばしいものだ。世界の終わりでもない。しかし、公表すれば、世界の至る所に偽イエスが出てくる恐れがあるからだ。

第3の予言は「よき訪れが到来する前に、世界に多くの紛争、混乱が生じ、イエスの再臨を待ち望んできたキリスト教会は崩壊し、ローマ法王も暗殺の危機を迎える」といった内容であったはずだ。

ラッツィンガー枢機卿は第3の予言の一部、「ローマ法王暗殺の危機」だけを発表し、それ以外の内容は封印したのだ。バチカンがキリスト教会の崩壊など公表できないからだ。第3の予言を公表しなかったラッツィンガ―枢機卿はヨハネ・パウロ2世の死去後、第265代ローマ法王に選出されたが、生前退位を強いられたことはまだ記憶に新しい。

11世紀の預言者、聖マラキは、「全ての法王に関する大司教聖マラキの預言」の中で1143年に即位したローマ法王ケレスティヌス2世以降の112人(扱いによっては111人)のローマ法王を預言している。そして最後の111番目がベネディクト16世だった。聖マラキの歴代法王の予言はベネディクト16世で終わっている。その後任の南米出身のフランシスコ法王については何も記述されていないのだ。

暗殺未遂で重傷だったヨハネ・パウロ2世は体調が回復すると、「聖母マリアが自分を守ってくれた」と述べ、聖母マリアへの感謝のためにファティマを訪ねている。そしてベネディクト16世も2010年5月、ファティマを訪れている。そして聖マラキの予言には明記されていないローマ法王フランシスコは来年5月、聖母マリア再臨100年目を記念してファティマを訪ねるというのだ。

なぜ、歴代法王はファティマを訪ねるのか。譬えがよくないが、犯罪人はその犯行現場を後日、もう一度見てみたいという衝動に駆られると言われている。もちろん、ローマ法王は犯罪人ではないが、ファティマの予言を封印してきた歴代ローマ法王は第3の予言の現場を訪ねたくなるのだ。なぜならば、第3の予言の内容、イエスの再臨について何らかの神の指示が得られるかもしれない、といった微かな期待があるからだ。

カトリック教会はイエスの再臨について、いつ、どこで再臨するかは何も語らない。それらは神のみが知るからだ、という。しかし、ファティマの予言はイエスの再臨を告げたのだ。

聖母マリアは当時、ルチアに「第3の予言は1960年前には公表してはなりません」と伝えている。換言すれば、イエスの再臨は遅くとも1960年以降には誰の目にも見える形で表れてくるということを示唆したわけだ。

イエスが降臨した時、当時の選民だったユダヤ民族はその救い主のイエスを十字架にかけ処刑した。ユダヤ民族に代わってキリスト教徒がイエスの福音を伝える使命を継承したが、最大のキリスト教会、ローマ・カトリック教会はイエスの再臨の訪れの知らせを受け取ったにもかかわらず、それを恣意的に封印してしまった。

世界で現在、約1億人のキリスト信者たちが迫害を受け、弾圧されている。歴史で「イフ」はタブーだが、キリスト教会がイエスの再臨の時を世界に知らせ、それを迎える使命を果たしていたら、そのような事態は生じなかったかもしれない。

蛇足だが、善き時の訪れが善き時の到来とはならず、最悪の時となるのは、時の訪れを知るべき人間の無知と霊性の欠如にあるからだろう。同じことが、イエスの再臨の時にもやはり言えるのだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年10月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』(http://blog.livedoor.jp/wien2006/)をご覧ください。

長谷川 良

最終更新:10/6(木) 16:51

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