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新海ウオッチャーが語る「『君の名は。』の超ヒットと匂い立つエモさ」

週刊SPA! 10/6(木) 16:20配信

 新海誠監督のアニメ映画『君の名は。』が興収120億円を突破し、社会現象とも言える大ヒットを記録している。

 これまでの興収一桁前半億円規模の新海誠作品を鑑賞してきた筆者にとって、現在のポストジブリ・ポスト宮崎駿とも言われるこのフィーバーぶりはかなりの驚きだった。まわりのアニメファンも予想外と戸惑いを隠せず、「なんかわからんけど俺たちの時代が来たのか?」とかいい出す始末だ。残念ながら、来たのは新海誠の時代だけのようですが。

 新海誠作品といえば、センチなモノローグに主人公の気持ちを反映した微細な背景美術、そして破局するために出会うとでもいえそうな逆転した恋愛への憧れを描いてきたように思う。

 その感傷的な作風は、一部の熱狂的なファンを生みながらも、筆者などは「また新海誠が、切ないことやってるよ……」という自分の青春の黒歴史をあえて見返すようなノスタルジーを含んだイタイ気持ちを味わっていた。

 そんなちょっと恥ずかしいけれど捨てられない学生時代のポエムノートのような新海誠作品だったはずが、『君の名は。』ではモテない男のひとり語りから離れて女子高生からの視点を導入して、身体入れ替わりという大ネタをぶち込んできた。さらに、今まではほとんど見られなかった笑いの要素まで挑戦している!

 なにより驚きなのは、今までは「男はそんなもんばっかり見て……」と冷ややかだったはずの女性も熱狂的に支持しているらしいということ。この受け入れられ方の180度転換の謎を探るべく、何度か『君の名は。』を鑑賞してみた。

(※編集部注:以降、ネタバレする箇所がございますのでご注意ください)

◆わかりやすい構成と、かえりみられない小道具

 『君の名は。』を見てすぐ気づいたのは、教科書通りといってもいいほどのわかりやすい三幕構成だ。男女の入れ替わりが起こりそれに気づくまでの一幕目に、入れ替わり生活を通じてお互いの境遇を知る第二幕、女性主人公三葉の結末を回避するために奮闘する男性主人公瀧の姿と再会を描く第三幕のバランスがほぼ等分に描かれている。

 また、これまではSF風の雰囲気で押し切りがちだったストーリーのギミックに、「口噛み酒」や「むすび」などの民俗学的な因縁も重ねて納得しやすいストーリーラインを作っていること。

 はっきり言って、今までの作品と比べて一般的な意味で“ちゃんと”していて、エンタメ作品としての体裁がかなり整っている。観客への説明も過剰なほどで、そこまで説明するの? と不安になるほど。結局何が言いたいの? という身も蓋もない観客の問いに完璧に答えていて、鑑賞して意味がわからなかったという人はほとんどいないんじゃないだろうか。

 そこまでちゃんとしている外観を作ることができているのに、ストーリーの最重要アイテムである「スマートフォン」などに代表される細部のツメが凄く甘いのも気になるポイントだ。

 「君の名は」といえば、まず思い浮かぶのがNHKの連続ラジオドラマ、真知子巻きのショールスタイルが一世を風靡した岸恵子主演の映画『君の名は』だろう。こちらの『君の名は』は、東京大空襲の夜に数寄屋橋で男女が半年後に再会しようと約束してからのすれ違いと数奇な運命を描いた作品だが、そのあまりのすれ違いっぷりに1991年にテレビドラマ化された鈴木京香主演の朝ドラ『君の名は』では「ケータイか電話で連絡とればすぐ会えるよ!」と視聴者からのツッコミが幾度となく入った。

 その伝説のドラマの名前を頂いたからか、新海誠の「君の名は」も現代を舞台にして、通話だけではなくメール・メッセンジャー・メモ機能なども満載されたスマホをメインの道具にしているのに、「ふたりの時間軸がずれていたから!」という説明だけで、堂々とスマホ片手にすれ違いさせまくっている。それ、スマホが一番時間のずれに気づきやすいから! 「連絡先教えて」といえばLINEのIDのことになっている高校生を主人公に据えていながら、すれ違いのメカニズムは本家『君の名は』とそう変わらないという不思議な事態になっている。

 第一作『ほしのこえ』では携帯電話のメール機能をつかい、外宇宙に旅立った彼女とのメール交換が電波の届く時間のせいで徐々に時間がかかり不安をつのらせていくというストーリーを描いた新海誠がそのことに気づいてなかったはずはない。その証拠に『君の名は。』では、スマホでの日付表示は年号は表示されない。あ、黙殺した!

 ほかにも見返すと、構成や場面立ては教科書通りキッチリやるのに、そこに登場する概念や小道具の機能的な意味については投げやりにも見える処理をしているシーンが散見される。画面の端々から「細けえことはいいんだよ!」という声が聞こえてきそうだ。

◆モノローグ劇のエモさからポリ・モノローグへ

 これまでの新海誠によく見られたのが、男性主人公のモノローグ多めの一人称視点。感傷的なひとり語りの雰囲気と、主人公の心情を反映した美術が新海誠作品の全体的なカラーを決めていた。

 そのため、これまでの新海誠作品の作品世界は感傷的なモノローグに切実性を持たせるための鏡的立ち位置、はっきり言えばカキワリに見えがちだった。逆にその点が、主人公以外の世界をびっちり考えるより、この感傷的なエモーショナルを感じろ! というメッセージにもなっていた。

 それが『君の名は。』では、身体の入れ替わりの必然として男性主人公「瀧」視点、女性主人公「三葉」視点の2つが登場するため、独白という独りよがりに見える形式ではない普通の恋愛映画のように見えて一般性が確保された大きなポイントになったと思える。

 ただし、観察すると『君の名は。』では、この恋に落ちる二人が会話らしい会話をしていないことに気づく。メモや伝聞をたよりにお互いの本当の姿を知らないまま順番に片側からの視点とモノローグが繰り返されるのだ。観客は両方の視点からの語りを聞くことで、あたかも二人が恋を育む過程を見ているような気持ちになるが、どちらかの主人公からのみストーリーを眺め直すと、遠く離れた異性と伝言の交換をしながら、実際には出会えないことに気づくという、これまでの新海誠作品のテーマが繰り返されている。

 つまり、同じ舞台を共有したモノローグ主体の物語を交互に覗くことで、三角測量のように焦点が合い、これまでの新海誠作品と一線を画するカキワリではない作品世界に見えるという構造になっているのではないか。

 この男女のモノローグのやり取りという不思議なパラレル・モノローグとでも言うべき描かれ方を経由することで、これまでの新海誠作品では観客のツッコミの対象になったであろう、「スマホを使っていながら何か月もすれ違いまくる」といううっかりさんな奇跡を、生き生きとして見えるようになった他の登場人物や都市の顔の影に隠してしまうことに成功している。

◆優等生の顔から覗く、凶暴な感傷

 『君の名は。』の新海誠の過去作品を知っているものからは信じられないほどの大ヒット。その理由として、普段映画を見慣れない層でもわかりやすい構成と、過剰なまでに説明されるストーリーの間口の広さはもちろん語られるべきだ。が、それだけでは、普通によくできた映画というだけではある。

 作品の外面は優等生的なのにかかわらず、『君の名は。』のそこかしこから匂い立つ、主人公二人の出会いのエモーショナル・エモい感動のために「細けえことはいいんだよ!」と、設定を深掘りしない、豪快に棚上げしてでも、感動できることが最優先!という貪欲な姿勢。そこから生まれたいびつな感触が観客のプリミティブな感情を揺さぶったのではないだろうか。

 これまでは過剰なセンチメンタリズムが冷笑の対象にもなりがちだった新海監督の“本当に描きたい衝動”と、新しい観客たちは幸福な出会いをしたのではないかと数度目の『君の名は。』を鑑賞したあとにしみじみ感じたのだった。〈文/久保内信行〉

日刊SPA!

最終更新:10/6(木) 16:20

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