ここから本文です

天皇の生前退位の「意志」を認めない「意図」の方が問題

Meiji.net 10/7(金) 8:58配信

天皇の生前退位の「意志」を認めない「意図」の方が問題
山田 朗(明治大学 文学部 教授)

 天皇陛下(以下、敬称を略す)が生前退位の意志をもっていることについて、以前からマスコミなどで報道されていましたが、8月8日、天皇自身の声明がありました。
 なぜ、天皇が自ら生前退位について言及しなければならなかったのか、また、なぜそれを問題視する理由があるのか、歴史的観点から考えます。


◇現代に相応しくあろうとする天皇と、明治天皇を理想とする一派

 8月8日に発表された天皇の声明は、生前退位の制度化を求めたメッセージであり、昭和天皇が重態に陥った際(1988年9月~89年1月)の過度な「自粛」のように、自身が高齢化して病床に伏せることで、日本社会の沈滞を招くことへの危惧が表明されています。

 また、「象徴天皇」について多く触れているのは、「象徴天皇」が制度化されて70年近くが経ちましたが、現天皇は、「象徴天皇」として最初に即位した天皇として、「象徴天皇」のあり方、現代に相応しい天皇のあり方が、いまだに未確立であるとの認識を示したものだと考えられます。
 つまり、現代に相応しい天皇のあり方と、それを支える世襲のシステムを確立しておかなければ、天皇制そのものの存続が危ぶまれる、との危惧からの発言であったと思われます。

 現行の皇室典範は天皇の引退(生前退位)が許されない制度となっていますが、それは極めて不自然であり、非人間的といわざるを得ません。
 今回の声明を、天皇という一人の人間の発言という点から見れば、極めて自然な気持ちの現われと感じます。世論調査では、8割以上の人が生前退位の制度化に賛成しているといいます。通常の市民感覚からすれば、当然のことでしょう。

 一部に、この天皇の発言を皇室典範の改正を希望すること、つまり天皇の政治的発言に当たるとして問題視する意見があるといいますが、それはおかしなことです。

 天皇の生前退位という問題は、現実には周囲から発議できるような事案ではありません。
 天皇の発言はそれを慮ったものでしょうし、さらに、象徴天皇として最初に即位した天皇として、自分の代で現代に相応しい天皇継承のあり方の制度を整えておきたい、という考えからの言動でしょう。
 実際、天皇はかなり前から生前退位の意向を周囲には伝えていたようであり、宮内庁でも制度改正の検討を進めていたといいます。ところが、天皇の発言を問題視する人たちは、政治的発言が問題と言っていますが、その本当の意図は、明治国家を天皇制のスタンダードと考え、国家の権威の源泉であった明治天皇のような存在を理想形としたいということでしょう。
 天皇は「国民統合の象徴」であるという際に、「象徴」よりも、「統合」を強調する見方です。このような明治時代を理想とする見方からすれば、現代に相応しくあろうとする現天皇の発言は、“問題”ということになるのです。


◇歴史上、明治天皇のようなあり方こそ例外

 日本の歴史を振り返ると、実は天皇の生前退位は非常に多くあります。7世紀末以降、天皇が退位し、太上天皇(上皇)となることはしばしば起き、平安時代あたりから増え始め、江戸時代に入っても、生前退位は行われていました。権力闘争や、政治的圧力で譲位せざるを得ないという状況もなかったわけではありませんが、ある意味、自由に譲りたいときに譲っていたのです。

 ところが明治時代になり、天皇を国家の権威と権力の源泉とするシステムが確立すると、天皇が退位することのデメリットが強調されるようになりました。天皇が上皇となることで権威・権力が分裂してしまうことを防ごうというのが、明治政府を創った人たちの基本的な考え方だったからです。

 そこで、天皇の生前退位は許されなくなりました。天皇に権威と権力を集中させてしまったが故の措置であったと言えます。ところが、アジア太平洋戦争の敗戦とともに大日本帝国憲法は日本国憲法へと改正され、皇室典範も改正されたのですが、皇位継承の制度は変わることなく戦後に引き継がれてしまいました。つまり、天皇は皇位継承にあたって、いまだに明治時代の発想に縛られているのです。

 日本の天皇制は古代から一貫して変わっていないと思っている人も多いと思いますが、歴史を見ると、天皇の役割や立場は変容していることがわかります。

 例えば、天皇は不可侵という意味で神聖であり、天皇が自ら政治を行う姿が古代からのあるべき姿だ、というイメージがありますが、実際に親政が行われていたのは古代の一時期と、南北朝時代の南朝を興した後醍醐天皇ぐらいです。

 天皇を国家の権威と権力の源泉とし、統帥権(軍隊を統率する権限)も行使するという明治時代のようなあり方は、むしろ例外です。平安時代くらいから天皇の直接的な役割は政治を司る立場から、儀礼を司る役割へと変わっていきました。
 それと時を同じくして、生前退位(譲位)が増え、頻繁に行われるようになったことは象徴的といえます。政治の実質的な権威・権力をもたなくなった時代、それに合わせて天皇は一定の自由な意思で“引退”ができていたのです。


◇男系男子主義では、もう天皇家は維持できない

 振り返ってみれば、昭和の敗戦後、天皇制も時代に合わせて大きく変わるべきでした。生前退位の問題だけでなく、男系男子のみの継承(天皇は、天皇を親とする男子に限る)もそうです。戦後の男女平等原則に抵触しますし、このままでは、皇位継承が途切れる可能性もあります。

 あまり報じられていませんが、男系男子の継承を可能にしてきたのは、事実上の側室制度があったからです。例えば、明治天皇も大正天皇も正妃である皇后の子どもではありません。皇室は、継承者として嫡出子だけでなく庶子も認めてきたからこそ、男系男子主義で維持されてきたのです。
 さらに、天皇の側室を支える存在として、周囲には五摂家のような貴族たちもいました。妃だけでなく、側室となる女官を輩出する制度が整っていたからこそ成り立っていた男系男子主義だったのです。しかし、現代で、天皇が側室をもつことが果たして認められるでしょうか。国民の支持を得られるはずがないと思います。

 つまり、この問題も、根本は生前退位の問題と同じです。戦後、昭和天皇は人間宣言をし、象徴天皇となり、皇室を取り巻く環境も、日本社会も大きく変わりました。にも関わらず、皇位継承のあり方は変わらず、制度は整えられてこなかったために問題が噴出しているのです。

 世界に目を向けると、女性が王位に就いている国もありますし、男系男子による継承とも限りません。日本でも、古代だけでなく江戸時代にも女帝がいました。
 男系男子主義が強められたのは、やはり明治時代からです。天皇に統帥権があり、軍に関わる役割が多かったからです。
 病弱で馬に跨がることができず、馬車の中から閲兵したという大正天皇に代わり、後の昭和天皇が摂政に就き、白馬に跨がって閲兵したことで軍の士気が上がり、国民の人気も高まったというのはよく知られている話です。この時代には、天皇が男性であることが相応しかったのでしょう。しかし、現代にそれは相応しいでしょうか。

1/2ページ

最終更新:10/7(金) 8:58

Meiji.net

記事提供社からのご案内(外部サイト)

Meiji.net

明治大学

社会問題を明治が読み解く
オピニオンは月3回更新

研究×時事問題。明治大学の教員が少子化
問題や地方創生、アベノミクスや最新の科学
技術など、タイムリーな話題を解説する、
大学が運営する新しい形の情報発信サイト。