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比較的富裕で高学歴なムスリムほど過激化しているという現実 --- 神谷 匠蔵

アゴラ 10/8(土) 7:15配信

こんな記事(https://www.theguardian.com/world/2016/oct/05/islamic-state-recruits-world-bank-study-education-boko-haram)がガーディアンから出ている。リベラル派も、さすがに世界銀行の調査結果は否定できないということだろうか。

これまでリベラル派は過激派ムスリムのテロ事件が生じる度に、お経のようにこんなことを言っていた。以下は過去にオンライン版の朝日新聞に出ていた、フランスの反差別NGO関係者の記事の翻訳である。

“テロを正当化するわけでは全くありませんが、テロの背景には差別があり、貧困があるのではないでしょうか。その根っこの問題に、政府は取り組もうとしていません。それどころか「非常事態」を続けることで、ますます権威主義的になっています。”

このように、確たる証拠もないのに「差別と貧困」というマジックワードにに託けて責任転嫁していたのだ。この「神話」はさらに「宗教は等しく平等」説で補強されていた。例えばオックスフォードのメフディ・ハサン氏(http://logmi.jp/109428)曰く、

“私はクリスチャンもイスラム教徒同様に、すべての主要な宗教のように、基盤となっている教理が、愛、同情心、信仰であると信じています。”

また同氏曰く、

“93パーセントのイスラム教徒は911の自爆テロを拒否し、7パーセントはそうしませんでしたが、宗教的理由ではなく、政治的な理由で暴力行為をサポートするとしていました。”

これが西欧世界及び日本のリベラル派に共通する「イスラム過激派テロリズム」理解であった。つまり、イスラム教を理由にテロ活動を行う「過激派戦闘員」はイスラム教徒の中のほんの僅かな一部分の「例外」に過ぎず、彼らは「正統イスラーム」側から非難されており、また彼らが過激化する背景には「差別・貧困・教育の欠如」という、他のどの犯罪者にも共通する「三点セット」があり、「宗教は関係ない」というのが、「政治的に正しい」テロリズム理解であった。

ところが今回の世界銀行の調査結果はこの政治的に正しいテロリスト神話を完膚なきまでに反駁している。ガーディアンの記事をそのまま引用しよう。

“The research, based on internal records from the Islamic State group(https://www.theguardian.com/world/2016/mar/09/isis-document-leak-reportedly-reveals-identities-syria-22000-fighters), will reinforce the growing conclusion among specialists that there is no obvious link between poverty or educational levels and radicalisation.”

つまり、少なくとも貧困と教育程度は過激化と何の関係もないと判明したのだ。

それだけではない。

“The proportions of those who wanted to be administrators and “suicide fighters” increased with education, the report’s authors noted.”

すなわち、教育程度の低さは過激化に直結しないどころか、むしろ高学歴ほど進んで自爆したりするという、教育主義者にとって実に残念な真実が明らかになったのだ。

無論世界銀行の調査及びガーディアンは、これを以ってしても「高学歴に対して、能力に相応しい就職の機会が少ないことが過激化の遠因」とし、「雇用創出こそが過激化に対する最良の防衛策」と結論づけている。

要するに、比較的富裕で高学歴であろうとも、西欧社会で「差別」されるが故に「就職」できない現状に対する不満が過激化を生んでいる、と言いたいのだろう。

だが西欧における就職状況が厳しいのは何もムスリムにとってだけではない。他国に比してムスリムが多いわけでもないスペインやギリシャでは25代以下の若者の50%以上が失業状態(http://www.greecejapan.com/jp/?p=10963)にある。それゆえEU域内を自由に移動できるスペイン人やギリシャ人は英国やドイツなどへ職を求めて移動するが、それを良く思わない英国人やドイツ人の一部はスペイン人に対して確かに差別感情を持っている。だが、それでもスペイン人が過激化してテロを起こすわけではない。では、スペイン人の若者とムスリムの若者では何が違うのか?

彼らの「貧困」の程度は同程度であり、教育程度も同程度、話す言葉も違わず、否むしろムスリムの方が西欧語+アラビア語(and/or自国語)を解する分より高度な言語スキルを持つとさえ言え、就職機会を奪われているという境遇も同じである。また、人種という点で言えば、北アフリカ出身のムスリムとスペイン人はともに地中海系のコーカソイドであり、遺伝子的にほとんど差がないれっきとした「白人」同士である。実際米国法では北アフリカどころか中東のアラブ人も白人扱いだ。(従って「ムスリム差別」が「人種差別」だというのは間違っている。)

となると、スペイン人とマグレブ系ムスリムを分けるのは「宗教」の他に何もないという結論になるのが自然だろう。逆に言えば、完全に世俗化し棄教したマグレブ系ヨーロッパ人は、普通の「白人」としてごく穏やかに暮らしていけるし、現にそうしているのである。だとすれば、過激化の原因はまさに宗教に対する拘りそのものというより他ないのではないか。

とはいえ、何も「イスラム教の教義」が過激化の原因だと言いたいのではない。そもそも、仮にイスラム教の教義そのものが過激だとしても、そんな教義ならこの宗教は信じないと選択することは誰にでもできるはずだ。初めから問題はあくまで信者の「信じ方」にある。

どんな宗教でも、その宗教を狂信的に信じることをその宗教の教義自体によって制限していない場合は、狂信的信者は簡単に過激化し得る。問題はイスラム教がテロを積極的に推奨しているか否かではなく、イスラム教において絶対化され得る原理の中にテロリズムや殺人を禁じることにつながるものはないということだ。イスラム教においてはあらゆる殺人が「絶対的に禁じられている」と言えない以上、信者の解釈次第で過激化され得る点こそが問題である。

だがキリスト教はその根本規範において殺人を絶対的に禁じている。カトリックでは他人どころか自分を殺す自殺でさえ禁じられているほどだ。従ってキリスト教原理主義は絶対平和主義にしかなり得ない。よくISISなどと引き合いに出されるKKKはキリスト教原理主義ではなく白人至上主義であるし、そのKKKでさえ最近は滅多に殺人など起こさない。十字軍や西洋列強の帝国主義も、「キリスト教文化圏」を守り繁栄させるために英国王やフランス王などの「世俗権力」が主体となって行った政治的活動である。

教祖自らが先陣に立ち戦争を指導した回教と、法令により死刑を命じられ何の抵抗もせず大人しく死刑になった教祖に始まるキリスト教が「同程度に危険」だなどというのはどう考えても詭弁であろう。同じ理由で仏教やジャイナ教も危険だとは言えないし、ヒンドゥー教諸派の中でも非暴力主義・不殺生戒を持つものは危険だとは言えない。

尤も、イスラム教は他の宗教より「危険」、つまり政治的であるからこそこれほどまでに拡大しつづけることが今日でもできているのであれば、むしろ宗教は「危険」であればあるほど魅力的で成功しやすいのかもしれない。

だが、もしそのメリットを捨てて「イスラム教は平和な教え」だと主張したいのであれば、今からでもイスラム教を狂信的に信じて過激化することをイスラム教内部の論理で抑制することができるように教義の内容を変革すべきである。

内部の問題を解決しないまま「差別」や「貧困」というマジックワードに頼っていても、それが現実と乖離している以上どんな人道支援も「テロ対策」としては意味をなさないだろう。

神谷 匠蔵

最終更新:10/8(土) 7:15

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