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対談 西川美和×砂田麻美 「映画監督への道、ふたりのアプローチ」

CREA WEB 10/8(土) 12:01配信

 ともに是枝裕和氏に才能を見出され、映画監督の道を志したふたり。『ゆれる』『夢売るふたり』などで、国際的にも注目を集める西川美和。ドキュメンタリー映画『エンディングノート』で鮮烈なデビューを飾った砂田麻美。一方で、共に小説家としても、その才能を高く評価されている。共通点が多くありながら、その実対照的ともいえる道を歩むふたりの女性クリエイターが、映画監督として、小説家としての思い、そしてお互いへの思いについて、さまざまな角度から語り尽くす。西川美和の最新作『永い言い訳』公開記念のスペシャル対談、第1回! 

第2回 「撮るということ、書くということ」
第3回 「新作『永い言い訳』についての言い訳」

映画監督を目指したきっかけは……

――現在は同じ事務所「分福」に所属しているおふたりが、仲良くなったいきさつというか、なれそめをまずは教えてください。

西川 別にそんなに仲良くないんですよ(笑)。

砂田 えー、そんなあ。

西川 よく知らないんですよ。そもそも、彼女は滅多に会社に来ないんですよ。悠々自適な生活をしていて。

砂田 悠々自適じゃないですよ。これってディスる会なんですか? (笑)。私は小学生の頃からいつでもいじられやすいんです。

西川 この人を見ると突っ込みたくなるんですよね(笑)。

――では、おふたりが映画監督を目指したきっかけは? 

西川 私は監督を目指そうと思ったことは全然なくって。映画の世界で何かしらの仕事に就きたかったけれど、私が就職活動をしていた90年代後半というのは、映画業界はまったく新卒採用がない時代だったんですね。それでテレビ業界や広告業界の門戸を叩いているときに受けたテレビマンユニオンで、当時そこに所属していた是枝裕和監督がたまたま面接してくださって、ちょうど映画の準備中だったんで、私も映画の仕事をしたいと申し上げたんです。結果的にそこは不採用になったんですが、是枝監督から直接電話がかかってきて、「フリーランスでよければ、次の映画を手伝わないか」と声をかけてくださった。私は映画の世界なら、配給でも宣伝でもよいと思っていたんですが、監督直々に声をかけてくださるなら、それほど面白いことはないな、と。それが『ワンダフルライフ』という映画で、そのままフリーの助監督になったんです。でも助監督になると、周囲には「君は監督を目指しているんだね」と思われて。これは困ったことになったな、と思いましたね。いろんな監督の助監督をして、現場はしんどいな、監督は向いてないな、と自分では思っていたんです。

――自分に向いてないと思っていた、というのは意外でした。

西川 それで書くのは好きだったので、シナリオライターの道を探ろうと思って、『蛇イチゴ』のシナリオを書いたのが監督になった直接のきっかけですね。是枝監督にシナリオを持っていったところ、「最初に書いたものが他人の演出で思ったようにならなかったとなるより、自分で撮ってみたら?」と言われて。それで監督の機会をいただいて、今にいたる、と。

砂田 すごーい。この話の流れ! 勉強になります。こんな風に簡潔にまとめられるなんて。

西川 助監督業は、監督の演出意図を汲んで、五手、十手先を読んで的確に周囲に指示を出さないとならなくて、自分にその能力がないというか、向いてないなと思ったんですね。とはいえ、監督という仕事の重責は背負いきれないし、やることも多岐に渡りすぎる。大学時代、映画以外で好きなこと、唯一仕事にしてもいいなと思ったのが、書くことだったんです。そこで、現場に立たずに関われるなら、シナリオライターかなと思って。

砂田 私は映画というより、映像の仕事をしたいと小学生の頃から思っていたんです。

西川 なんで? 

砂田 私はテレビドラマが大好きで。野島伸司世代なんです。視聴率30%とか普通だった時代に小学生だったんで。私は私立の女子校に行っていて、すごく閉塞感があったんですが、ドラマを観ているときだけ、ハッピーになれた。

西川 野島さんの何のドラマが好きだったの? 

砂田 『愛という名のもとに』から『高校教師』、そのへん全部ですね。野沢尚さんのドラマも好きだったし。うちは映画を観る環境でもなかったので、テレビドラマだけが映像との接点で、とにかく映像の仕事がしたいと。おかげで、今になって苦労しています。監督っていう職業が何を背負うのか、というのを是枝さんや西川さんを見ていて、日々、思います。

――砂田さんも助監督をされていたんですよね? 

砂田 私は助監督というより、監督助手という形で。是枝監督の前に岩井俊二監督や、河瀬直美監督のもとでも助手をやらせていただきました。皆さん共通しているのは、自分でやりたい企画を立ちあげ、脚本を書き、監督をする。皆さん脚本の段階から、製作から配給、宣伝、公開にいたるまで、ちゃんと若いスタッフに見せきるというスタイルなんです。すごく珍しいし、助手として映画が生まれる過程を全部近くで学べたんですね。

西川 就職活動はしなかったの? 

砂田 大学生のときから、テレビ局でドキュメンタリー制作のアルバイトをしていたんです。

西川 じゃあ、高校生の頃から映像に進もうと思ってたの? 

砂田 大学に行ったら映像の勉強をしようと思ってましたね。でも、美大の映像専攻に行こうという選択肢はなく、あくまでテレビの世界に行こうと。

西川 大学では何専攻だっけ? 

砂田 総合政策学部というところなんですが、映像の勉強もできたんです。デジタルビデオカメラも編集機も100台くらい学校にあって、自由に撮れたんです。

西川 えっ! じゃあ、大学生のときからもう映像演出の勉強してたの? 

砂田 勉強してました。自分で。

西川 そこはテレビや映画志望の人がいくところなの? 

砂田 いやいや。いろんなジャンルの人がくるんですが、プレゼンテーションを映像でさせたり、映像教育に力を入れていたんです。メディアに強い学部だったので。

西川 だから、機材にうるさいんだー。

砂田 そうそう……え、ワタシ? 

西川 というか、詳しいよね。助手に「今からあれ持ってこい!」とか言って、泣かせてるじゃない(笑)。

砂田 そんなことないですって! もう話盛っちゃって。やめてくださいよー(笑)。

西川 全然、機材に妥協しないんですよ。それはすごく知識があるからなんだね。

砂田 知識はないんですけど、機材が好きなんですね。アシスタントの子のほうがいろんなことを知ってますから教えてもらってます。

西川 じゃあ、テレビドラマのディレクターになろうとしていたの? 

砂田 はい、最初はドラマですね。

西川 でもテレビドラマは、野島さんみたいに書く人と、演出する人がわかれているよね? 

砂田 演出の方がやりたかったですね。小学生の頃から短編を書いて友達に見せたりはしてたんですけど。

西川 それは小説? 

砂田 小咄(笑)。

――砂田さんはかなり早熟だったんですね。

砂田 友達がみんなやさしかったんですよ。私が書いたのを5、6人でまわし読みしてくれて。

西川 「あ、また来たよ」って思ってたろうね、友達は(笑)。

砂田 つまんないものを書いても、みんなメモ用紙に感想を書いてくれて。

西川 やさしい! 

砂田 でも大学に入る頃には、書くより、映像だって思うようになって。

西川 なんでドキュメンタリーだったの? 

砂田 きっかけは大学でたまたまドキュメンタリーを作るサークルに入ったんです。

――映画研究会ではないんですか? 

砂田 ドキュメンタリー専門なんです。そこで、初めてニュース番組を作っているプロの方に教わって。ゼミも、NHKでドキュメンタリー番組を作る人が先生だったんです。教えてくれる人がみんなドキュメンタリー畑の人で、やってみたらすごく面白くて。

西川 何をやったの? 

砂田 自分たちで撮りたい題材を考えて、4、5人のグループで取材交渉もして、という。大学生だから、みんな気軽に受けてくれるんですよ。放送されるわけではないので。それで全国いろいろなところに行って撮って。その頃、ちょうどノンリニア編集(コンピュータによるデジタル編集)が普及し始めて、誰でも編集が出来るようになったんですね。

西川 じゃあ、テープ編集したことないんだ? 

砂田 そうです。私、フィルムもテープもほとんど触ったことがないんです。もしあそこで映研に入ってたら、たぶん私はここにいないと思いますね。

――劇映画を作ろうとしていたら、挫折してしまったかも、ということですか? 

砂田 そう思います。なんでだろう。西川さんがさっきおっしゃってたことと似てるけど、やっぱり大勢の人をまとめていくのは大変だし、私は家でちまちまやってるほうが好きなので、怖じ気づいちゃったと思うんですよ。それに、劇映画を撮っていても具体的な就職口もないし。助監督になるコネクションもゼロだし、きっと諦めちゃったと思いますね。

西川 それでテレビ局を受けたんだ。

砂田 私、就職浪人したんです。4年生のとき全部の局を受けて、全部落ちたんです。私ほどドキュメンタリーを真剣にやりたがっている学生はいないと思っていたんだけど、どこもいらないって言うから(笑)。

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最終更新:10/17(月) 10:41

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