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クリスマスはこうして「日本化」していった ~明治末の脱キリスト われわれは百年前から変わっていない

現代ビジネス 10/10(月) 15:01配信

 日露戦争の勝利を転機に、クリスマスを「西洋気分を味わいながらはしゃぐ日」に変えた日本人は、異教の祝祭を一気に「日本化」させていく。その模様を当時の新聞でずんずん調べた。(前回はこちら gendai.ismedia.jp/articles/-/49905)

芸者を呼び、日本の料理を食べ…

 1906年12月25日の記事(以下、すべて東京朝日新聞)は、我が国の耶蘇ならぬ家々にても近年、家庭での趣味生活が増えてきているため、クリスマス装飾を新年飾りのひとつとして楽しみ、面白く新春を迎えることがとても流行している、と書かれている。

 キリスト教徒ではないふつうの日本人も、新年を迎える年末の行事として取り入れだした。(ただ当時の日本の貧富の差はまだまだ激しく、中流以上の家庭でないと、そこまでの余裕はなかっただろうとはおもわれる。)

 同年1906年の12月27日には「風変りのクリスマス」という記事が掲載されている。

 〝日本通のある外国武官〟が日本陸海軍武官数名にクリスマスの案内を出してきた。キリスト教国の軍人が日本の軍人をクリスマスパーティに招待したのだが、その場所が木挽町の待合(芸者などを呼んで遊ぶ貸座敷、関西で言う茶屋)となっている。

 どういうクリスマスを迎えるのかと訝しくおもいつつ参集すると、何のことはない、芸者を呼び、日本の料理を食べ日本酒を多いに飲んで楽しく過ごしたばかりである、こういう降誕祭もいい、と楽しく過ごした、そういう記事である。

 やくたいもないというか、事件性も話題性も一般性もまったくない内容であるが、やはり「高級軍人の遊び」としておもしろいとおもわれたので掲載されたのだろう。クリスマスの日本化の一端として読めば、興味深い内容である。

 1907年になると「クリスマスプレゼントはどういうものがいいか」という記事になる。

 いまどきの雑誌と変わらない。記事はクリスマスの1週間前、12月17日に掲載されている。

 見出しは「●クリスマスの贈物は? 其日が楽しみ」。

 クリスマス用贈答品を売っている主な店は〝銀座の明治屋、新橋の亀屋、カード類は銀座の教文館〟と紹介している。

 贈り物の〝大立者〟はストッキングである。これは〝お菓子や玩具の入った靴下形のもの〟を指しているらしい。たしかにいまでも似たような子供向けクリスマス商品を売っている。それは明治末年には主力商品となっていたようである。

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最終更新:10/10(月) 15:01

現代ビジネス

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