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「東大に入るより難しい」灘高 JAL会長が語る“超ユニーク”な校風と生徒たち

NIKKEI STYLE 10/11(火) 7:47配信

 「東京大学に入るより難しい」と言われる中高一貫の進学校、私立灘校(神戸市)。高い偏差値の一方、自由な校風でも知られ、昔から作家の遠藤周作ら数々のユニークな人材を輩出してきた。日本航空の再建を稲盛和夫氏と二人三脚で担ってきた大西賢会長(61)も、その一人。その大西氏が、経営者としての原点になったという灘校時代の学びとは。

■灘校に入ったのは、縁だった

 NHK職員だった父は転勤族で、私も幼いころから中学校まで、国内を転々としました。たまたま高校受験の時に、定年間際の父を故郷の大阪に戻す辞令が出て、灘校受験のチャンスを得たのです。タイミングがずれていたら、灘校には行っていませんでした。
 父は間もなくNHKを退職し、もはや引っ越すこともなくなったので、私も生まれて初めて途中で転校することなく、卒業まで同じ学校に通い続けました。ですから、私にとっては、母校と言えば、灘校です。
 灘校はもともと、灘の裕福な造り酒屋の子弟のために建てられた学校です。そのユニークな歴史のせいか、昔も今も、個性的で面白い生徒が集まってきます。
 入学試験の問題も変わっていて、いわゆる暗記問題はほとんどなく、頭を使って考えさせる問題ばかり。ですから、せっせと受験勉強した人が受かるとは限りません。そこが難関と言われるゆえんかもしれません。

■教科書を持ち歩いた経験がなかった

 灘校の授業のシステムは、一人の先生が中学1年から高校3年まで同じクラスを受け持つ、いわゆる持ち上がり制です。例えば、国語だったら、中学入学から6年間、あるいは高校からだと3年間、同じ先生に国語を教わります。
 先生も個性派ぞろい。授業では、教科書を使った記憶はほとんどありません。どの先生も自分で作ったプリントや自分の著書を生徒に配り、授業を進めます。文化系の科目の先生は、受験に必要な知識を教えるというよりは、自分の趣味の話をしているという印象でした。
 例えば、徒然草が大好きな古典の先生は、いつも喜々として徒然草の話ばかり。そのぶん後で、自分で勉強しなければならないことも多いのですが、詰め込みではなく、生徒一人ひとりに考えさせる授業なので、とても面白く、学ぶ楽しさを肌身で知ることができました。理科系の科目は、最初に理論をササッと教えて、後はひたすら問題集の問題を解くというスタイル。ですから、やはり教科書は持ち歩きませんでした。
 先生へのいたずらもよくやりました。例えば、授業直前にクラス全員が教室から抜け出し、先生が来たらもぬけの殻だったりとか、全員でメーカーに電話を掛け、商品の無料サンプルを先生の自宅に山のように送りつけたりとか、男子校の気楽さからか、結構、むちゃくちゃないたずらをしました。でも、それだけ先生と生徒との距離が近かったということだと思います。

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最終更新:10/11(火) 7:47

NIKKEI STYLE

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