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ロシア・オペラの聖地巡礼!プーシキンの家とマリインスキー劇場を訪ねてみた

サライ.jp 10/12(水) 10:08配信

ロシア・オペラの聖地巡礼!プーシキンの家とマリインスキー劇場をサンクトペテルブルクに訪ねる

ロシア・サンクトペテルブルクを本拠とするマリインスキー・オペラが、いま来日している。ヴァレリー・ゲルギエフ指揮で「エフゲニー・オネーギン」「ドン・カルロ」他を、10月8日~16日にかけて上演するのだ。

この夏、そのマリインスキー・オペラをサンクトペテルブルクに取材した。その際、どうしても立ち寄りたい場所があった。「エフゲニー・オネーギン」の作者でもある詩人・作家アレクサンドル・プーシキン(1799-1836)の家である。

プーシキンの存在なしに、近代ロシア音楽の発展は決してありえなかった。なぜって? 「エフゲニー・オネーギン」「スペードの女王」、そして「ボリス・ゴドゥノフ」。この3つのオペラの名前を挙げれば十分だろう。前2者はチャイコフスキー、後者はムソルグスキーの作曲によって、音楽史に不朽の金字塔を打ち立てたのだから。

青春と恋、政治と歴史、自然と人間にまつわる、無限の含蓄に満ちた劇世界がそこにはある。ロシアのみならず世界の宝ともいえるオペラの大前提として、まずプーシキンの詩的言語があったことを忘れてはならない。

プーシキンの家は、現在は「プーシキンの家博物館」として公開されている。ここはプーシキンが住んだ最後の家で、絶世の美女として知られた妻ナターリャ・ニコラエヴナの不倫にまつわる匿名の手紙がきっかけとなった決闘で重傷を負った詩人が、37歳の若さで亡くなった場所でもある。

皇帝をはじめ社交界からもてはやされた妻のためにも、そして幼い3人の子供たちのためにも、決して裕福とはいえなかったプーシキンは、分不相応な暮らしを支えるために、創作に奮闘し集中できる孤独な環境を求めていた。だが詩人は家庭をも大切にしていた。そのことがうかがい知れる、美しい邸宅であった。

プーシキン家の居間にはピアノがあった。妻ナターリャは美しい声を持ち、好んで歌を歌ったと伝えられる。音楽の絶えることのない家庭だったのだ。二冊の古くて分厚い楽譜の表紙にはこう書かれていた。「モーツァルト作曲“ドン・ジョヴァンニ”」「ベッリーニ作曲“ノルマ”」。

1837年の2月8日、フランス人士官ジョルジュ・ダンテスとの決闘に倒れた重傷のプーシキンを心配した大勢の人々が、この家の扉の周りに集まってきた。激烈な痛みに苦しむ詩人の叫びが表の通りにまで響き、やがて弱まっていった。詩人の状態を逐一知らせる張り紙がこの扉に貼られたと伝えられる。回復を願う人々の祈りも虚しく、ロシアの国民的詩人は亡くなった。

プーシキンの家博物館を私が訪れたとき、中高校生の集団が見学のために詰めかけているところだった。係員の説明に熱心に聞き入る子供たちの姿は真剣そのもの。聞くところによれば、ロシアでは昔も今も、学校教科書でプーシキンは必ず取り上げられ、暗唱をさせられるという。だからオペラ「エフゲニー・オネーギン」の有名なタチヤーナの手紙の場のシーンになると、学校の授業を思い出す人も多いのだとか。日本で「百人一首」や「平家物語」の一節が有名なのと全く同じように、プーシキンはロシアでは国民的常識なのである。

警備は厳重そのもので、旧ソ連時代でも現代のロシアでも、国家的財産としてプーシキンにまつわるすべての遺物が大切にされていることを痛感させられた。

上掲の写真は、係員に頼み込んで特別に撮影を許可してもらったものだが、展示品の大半は撮影不可だった。その中には、プーシキン自筆の原稿類もあり、詩人の推敲の細かさ、余白に絵や落書きをたくさん書いていた点が面白かった。また、決闘に使われたピストルの金属的な輝きは、200年近く前のものとはとても思えないものがあった。

決闘に行く前にプーシキンが食事をしたという文学カフェにも立ち寄った。そこにはプーシキンが生前好んだメニューに印がつけられていたので、そればかりを注文してみた。

食事を済ませたあとは、バスに乗った。バスの中では人々は初対面どうしでも気さくに話をする。集金係に運賃を渡すとき、混雑している場合は、間に立っている人に目配せしながらお金を渡すと、リレーしてくれる。そしてお釣りもまたリレーして戻ってくる。人と人の距離の近い町なのだ。

ネフスキー大通りでバスを降りてサンクトペテルブルクの中心部を歩くと、帝政ロシア以来の歴史や文化の深みを感じさせるスポットが点在し、飽きさせない。

そして歴史あるマリインスキー劇場へ。オペラとバレエ専門の劇場で、もともとはロシア帝室のための劇場として建てられ、数々の名作がここで初演された。ソビエト時代はキーロフ劇場と呼ばれていたが、ソビエト崩壊後、伝統あるマリインスキー劇場の名前に戻された。

劇場は第1劇場、第2劇場、第3劇場にわかれており、極東のウラジオストックには第4劇場もある。芸術監督ヴァレリー・ゲルギエフのもと世界屈指の国際的オペラハウスとして発展を続けている。

折りしもマリインスキー・オペラ第1劇場では、1916年のマリインスキー・バレエ訪日100周年を記念した展覧会が展示されており、日本側の歓迎と報道ぶり、返礼として閑院宮載仁親王(かんいんのみやことひとしんのう、1865-1945)が訪露した際の記録なども展示されていた。ロシア革命の前年の出来事であった。日本との縁をいまもマリインスキーは大切にしている。

サンクトペテルブルクは大工事の時期を経て、いまやすっかり清潔な、パリやロンドンと全く同じような、ヨーロッパの大都会のひとつとなっている。レニングラードの頃と違ってモノは豊かであり、人々はすっかり自由な経済を謳歌している。その一方で、ピョートル大帝が建設した幻想的な計画都市として、高層建築物は自粛されており、いまも歴史的景観が厳重に保たれている。プーシキンの家博物館に象徴されているように、芸術文化を国家ぐるみで大切にする精神は今も変わらない。

経済成長や利便性ばかりを追い求めるのではなく、美を尊重するこうした気風は私たちも見習いたいものである。ぜひ一度、旅されることをおすすめしたい場所だ。

写真・文/林田直樹
音楽ジャーナリスト。1963年生まれ。慶應義塾大学卒業後、音楽之友社を経て独立。著書に『クラシック新定番100人100曲』他がある。『サライ』本誌ではCDレビュー欄「今月の3枚」の選盤および執筆を担当。インターネットラジオ曲「OTTAVA」(http://ottava.jp/)では音楽番組「OTTAVA Liberta」のパーソナリティを務め、世界の最新の音楽情報から、歴史的な音源の紹介まで、クラシック音楽の奥深さを伝えている(毎週木・金14:00~17:00放送)

林田直樹(音楽ジャーナリスト)

最終更新:10/12(水) 10:08

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