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病後の夏目漱石、修善寺からの帰京が決まり土産物を準備する。

サライ.jp 10/12(水) 15:20配信

病後の夏目漱石、修善寺からの帰京が決まり土産物を準備する。【日めくり漱石/10月9日】

今から106 年前、すなわち明治43年(1910)10月9日の伊豆・修善寺は、しっとりと雨に濡れていた。

朝食後、漱石が床の上に上半身を起こして庭を眺めると、百日紅がかすかな残紅を枝先につけながらも黄色に染まってきているのが見てとれた。昨日も、看護婦が裏の縁側に出て庭に目をやり、「もうあの柚が黄色くなりましたね」などと呟いていた。

そんな看護婦とのやりとりから、漱石の頭に浮かぶ一句は--。

《いたつきも久しくなりぬ柚は黄に》

漱石が病臥している間に、季節は着実にめぐっていた。

2日後には東京へ帰ることが決まっていた。一度は死にかけ、ここまで回復した。もちろん嬉しいのだが、どこかにまだこのまま帰りたくないという気持ちが残っているように感じられるのが不思議だった。

夜になると漱石は、いろいろな寄木細工を部屋に取り寄せて品定めし、3つの箱を購入した。土産物についても、鏡子と相談した。多くの人から見舞いを受けているし、誰にどんな土産を渡すか細かく考え出すと、とてもではないが収拾がつかない。

「なるべく、葉書入れと修善寺飴と柚羊羹で間に合わせるようにしたらどうでしょう」

鏡子がそんな提案をし、漱石も賛同した。

このような準備を整え、10月11日、漱石は特製の舟形の寝台の中に寄り掛かる如く寝そべって、馬車と汽車を乗り継ぎ東京へ帰っていった。

新橋停車場では、子どもたちや門弟、朝日新聞の社員など、驚くほど大勢の人に出迎えられた。東京に戻っても、漱石はまだ早稲田南町の自宅には帰れない。内幸町の長与胃腸病院に直行し入院した。この病院で、なおしばしの入院生活を送るのである。

修善寺からの帰京途中に、漱石が詠んだ句。

《病んで来り病んで去る吾に案山子(かかし)哉》
《稲熟し人癒えて去るや温泉の村》
《新しき命に秋の古きかな》

修善寺での逗留は、実にまるまる2か月以上に及んだのであった。

■今日の漱石「心の言葉」
何かお土産を買ってくれっていうから、見ているんだけども(『明暗』より)

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

最終更新:10/12(水) 15:20

サライ.jp

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