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『愛のチャペル』ディキシー・カップスのジョアン・マリー・ジョンソン、72歳で逝去

ローリングストーン日本版 10/13(木) 12:00配信

1964年にシングル・チャート1位の座をビートルズから奪った、ニューオーリンズのポップ・トリオ「ザ・ディキシー・カップス」の結成メンバーの1人、ジョアン・マリー・ジョンソンが72歳で死去。

【動画あり】『愛のチャペル』ディキシー・カップスのジョアン・マリー・ジョンソン、72歳で逝去

『愛のチャペル(Chapel of Love)』や『アイコ・アイコ』などのクラシックで知られる、ポップ・トリオ、ザ・ディキシー・カップスの結成メンバーの1人、ジョアン・マリー・ジョンソンが10月3日、ニューオーリンズのホスピス・センターで亡くなったとニューヨーク・タイムズ紙が伝えている。享年72歳。

1964年、ディキシー・カップスはファースト・シングル『愛のチャペル』を、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーのレッド・バード・レコードで録音した。元々、ジェフ・バリー、エリー・グリニッチ、フィル・スペクターによって書かれたこの曲は、ザ・クリスタルズとザ・ロネッツでは失敗したが、ディキシー・カップスのヴァージョンは、ザ・ビートルズの『ラヴ・ミー・ドゥ』を抜いてビルボード誌のホット100の1位に上り詰めた。

「エリーとジェフが私たちのために『愛のチャペル』を初めて演奏してくれたとき、私たちは顔を見合わせたの。"本当に私たちにこんな風に歌ってほしいと思っているのかしら?"って」とホーキンズは当時を振り返る。「"さぁ、どんな風に歌いたい?"って彼らが言うから"少しだけ時間をちょうだい"と答えたわ。そして部屋の隅に行って歌い始めたの。それから彼らの方に戻って、レコードに録音されているとおりに歌ったのよ。彼らはただ"ワオ!今のはすごい"って言ったわ」。

『愛のチャペル』は、ロックの殿堂の"ロックン・ロールの歴史500曲"に含まれている。また、この曲は、ローリングストーン誌の選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500の284位にもランクインしている。

ディキシー・カップスには、『愛のチャペル』には及ばないが、他に2曲のヒット曲がある。『ピープル・セイ』と『アイコ・アイコ』だ。結成から数年で、ジョンソンはマネジメントとの意見の不一致と健康上の理由から、グループを離れた。「60年代初頭だったから、たくさんの辛い経験をしたわ。人種差別もそうだし、もっとたくさん辛いことがあった」とホーキンズは言う。「私たちの味方でなかったマネージャーもいた。でも良い時もたくさんあったのよ」。

ホーキンズ姉妹は、数人の他のシンガーとディキシー・カップスを続けてきた。現在のラインナップにはアセルグラ・ネヴィルが含まれているが、ジョンソンも2008年のニューオーリンズ・ジャズ・アンド・ヘリテッジ・フェスティバルなどの特別なパフォーマンスではグループに定期的に参加していた。

「ジョアンは永遠に私たちの歴史の一部です。60年代のミュージック・シーンの頂点での私たちの伝説的パフォーマンスのいくつかに参加したのだから」と、ディキシー・カップスは彼女たちのウェブ・サイトで述べている。「世界から素晴らしい女性が1人いなくなりました。彼女は最高のユーモアのセンスと、輝く笑顔を持ち、私たちの知る最高の人物の1人でした。ジョアン、永遠に大好きよ!」

Translation by Kise Imai

JON BLISTEIN

最終更新:10/13(木) 12:00

ローリングストーン日本版

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