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未来を考えるための読書 池上秀徳(公文教育研究会 代表取締役社長)

本の話WEB 10/14(金) 12:00配信

 独自の学習法を通して、自学自習で高校教材を人生の早い時期に修了させることを目指す公文教育研究会。昨年社長に就任し「本がないと生きていけない」と語るほどの読書家である池上氏に教育と読書の関係、そして愛読書への思いを聞いた。

 弊社は、創始者の公文公(とおる)が息子に算数の教材を手作りしたことが始まりです。創始者は算数だけでなく、読み聞かせなどの読書教育にも熱心で、長男は小学校入学時には高学年向けの雑誌が読めるほど高い読書力だったそうです。公文は当初から数学と読書を二本柱に据えていました。

 公文では「健全で有能な人材の育成」を目指しています。有能は様々な課題に立ち向かう能力です。一方、健全さとは、状況や相手の気持ちを考慮するバランス感覚が問われます。そこで読書が重要になるのです。創始者には「大学を出てからも本を読む人に」という言葉があり、いつまでも自分を磨く人間に育ってほしいという思いがありました。

 最初にあげるのは、まさに私に考える場を与えてくれた本です。大学時代哲学や思想に関心があり、関連書籍を読みましたがあまり面白くなかったんです。たとえばカントの『純粋理性批判』は何度登っても途中墜落してしまうような難しさがありますよね。読書というのは自分で考えることが醍醐味なのですが、一生懸命理解しようとすると、それができない。そんなときに出張先の京都の本屋さんで野矢茂樹さんに出会ったんです。彼が問題にしていることは、他者の心や自分の身体など、ごく身近にある題材から哲学に導いてくれるので分かりやすい。帰りの新幹線で、一章一章自分の頭で考えながら読むことができた。そこから野矢さんのファンになりました。

 次は加藤陽子さんの『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』です。私は大学で歴史を専攻していましたが、この本は歴史を再構成する視点、そして語り口が素晴らしいんです。ここでの問いは、“なぜ戦争が起こったか”ではなく、“なぜ日本人は戦争を選んだか”です。事柄に対する適切な問いの立て方が、知性の働かせ方の見本だと思いました。現在や未来を考えるときに歴史的な事例の蓄積が重要だという加藤さんのご意見に同感して、社長就任以降、私も弊社の歴史を改めて学び、社員へメッセージを伝えました。

 もちろん小説も大好きです。先日、歴代の芥川賞直木賞受賞作家のうち、著作を二冊以上読んだ人を数えてみたら、直木賞が七十七人、芥川賞が二十一人と直木賞が圧倒的に多かったんです。そんな私が、著作をほぼ読んでいて、新しい作品が出たらすぐ買って徹夜してでも読む、という作家は実はスティーヴン・キング(笑)。キングは初期の『キャリー』『呪われた町』から最新刊の『ミスター・メルセデス』まで全て好きで、『IT』は待ちきれずに原書で読みました。キングの魅力は“過剰さ”。過剰な描写、過剰なサイドストーリー、過剰な伏線、過剰な語り、それらが遊園地の様々な遊具のように並んでいて、どれから遊ぼうかワクワクする感じなんです。でもすべて回り切れないと、かえって後ろ髪をひかれませんか。それと同じようにキングを読むと飢餓感が刺激されてもっと作品を読みたくなります。この『11/22/63』は、タイムマシンものの傑作である、ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』やケン・グリムウッドの『リプレイ』などに匹敵する出来栄えだと思います。

 最初にお話ししたように、公文では読書教育も重視しており、「くもんの読書ガイド」という冊子も作っています。私が中学生向けの国語教材を作った際にも、該当の本百五十冊を全て読みました。これは、仕事で本が読めるというとても幸福な時間でした。その中で見つけたのは再読の味わいです。エミリー・ブロンテの『嵐が丘』は、十五歳の頃はヒースクリフの心情を面倒に感じてよく分かりませんでした。ところが三十年経って再読し、伏線の張り方やクライマックスへの盛り上がりに感動しました。『半七捕物帳』も再読しようと思ったのですが、大学生のときに購入した旺文社の箱入りの全集だと字が小さくて読みづらい。困りまして、一年前に買ったKindleに、まず最初に半七を入れて字を大きくして読みました。半七は言わずもがなで捕物帳の大傑作だと思います。幕末の風俗や地誌が本当に生き生きと活写されているんです。岡本綺堂は生まれが高輪で、話の舞台に弊社のある品川がよく出てきます。青山火事でも、ちょうどこの辺りまで人々が逃げ惑ってくる。そんな中、月の輪熊が現れて……という「熊の死骸」など、情景を想像するだけで興奮します。もう少し暇ができたら、小説と、江戸時代の地図を片手に街歩きをしたいと思っています。

お勧めの4冊

・『哲学・航海日誌』 (野矢茂樹 著) 中公文庫

・『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 (加藤陽子 著) 新潮文庫

・『11/22/63』 (スティーヴン・キング 著) 文春文庫

・『半七捕物帳』 (岡本綺堂 著) 光文社文庫

池上秀徳(いけがみ・ひでのり)

1956年生まれ。東京大学卒業後、公文入社。公文式教材の開発、指導法研究に長く携わる。2014年常務取締役。15年6月、初のプロパー出身者として社長就任。

会社メモ:1958年大阪で創業。細かくステップ分けした独自のプリント教材による個人別・学力別学習を行い、子供の可能性を追求する。教室は49の国と地域に広がり、生徒数は420万人を超える。

聞き手:「オール讀物」編集部

最終更新:10/14(金) 12:00

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