ここから本文です

「静かであることを学べ」 英文学史に残る『釣魚大全』

Book Bang 10/14(金) 8:00配信

「刑事フォイル」というテレビ番組を見た。先の大戦でドイツがまだ優勢で、イギリスへの上陸も考えられる頃、英仏海峡に最も近い地域の警察の責任者がフォイルである。オックスフォード出の警官で、息子は戦闘機のパイロット。このフォイルが時々川に釣りに出るのだ。漁師でない人間が淡水魚釣りをやる技術を発達させたのは文明のしるしではあるまいか。古代シナ、江戸時代の日本……などと連想したら、当然、ウォルトンの本に思い当った。

 ウォルトンは下層の出身であったが、「友人を作る天才」と言われるだけあって、ロンドンの金物商ギルドの一員となり、妻の母はカンタベリ大主教の姪であった。従って彼は王党派(ロイヤリスト)であり、友人知人には多くの国教会の聖職者や詩人がいた。彼が生れたのはシェイクスピアが活躍していた頃、そして九十歳まで生きた。この間のイギリスの政界は王様の首が斬られたピューリタン革命の頃であった。揺ぎなき王党派の彼の人生も安泰ではなかったのである。しかし彼は「静かであることを学べ」という聖書の教えに従い、明哲保身の道を、川釣りと、伝記を書くことの中に見出したのであった。釣りの書物としても、詩人たちの伝記としてもイギリス文学史に残る作品を残した。

『釣魚大全』はもちろん釣りの技術や魚の習性にくわしいのであるが、それだけではない。プロの漁師や、猟師や鷹匠たちとの会話もあり、彼自身の人生論がある。しかも多くの詩や唄が引用されている。たとえば「鮭の巻」では「鮭は淡水魚の王様であります」と言ってその説明や逸話を紹介し、鮭についての詩を引用する。

 鮭がその河をのぼる決意のとき

 かれはその業にしたがってやってくる

 ……
 
 流れに抗して闘いつづけ

 勝利を得るまで闘いつづける(森秀人訳)

 日本では大正十五年にはじめて岡倉由三郎先生の詳細な解説と註がつけられた。増補版が多く出され、四百版にのぼると言われる。釣人でなくても面白く、川魚について博識になれる。

[レビュアー] 渡部昇一(上智大学名誉教授)
※「週刊新潮」2016年9月15日号掲載

SHINCHOSHA All Rights Reserved.

最終更新:10/14(金) 8:00

Book Bang

記事提供社からのご案内(外部サイト)

Yahoo!ニュースからのお知らせ