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直木賞作家・髙村薫が「圧倒的だ」と絶賛する一冊 いまも色褪せない言葉の濃密さ

現代ビジネス 10/15(土) 14:01配信

 2000年以降を生きる日本人に、野間宏の小説がどんな意味をもつのか、正直なところ私には分からない。なぜなら野間が現代文学の最前線にいたのは半世紀も前であり、学生や勤め人が当たり前のように野間の作品を読んでいたのも、ほぼ70年代までのことだったからである。

 私もそのころ野間に出会い、とくに本書に収められている「暗い絵」や「顔の中の赤い月」などの初期の短編に強い感銘を受けたが、それらは小説が小説家の全実存をかけて書かれるものだった時代の一つの典型であり、その小説空間の独特の濃密さに、一読者として深く感応したのだと思う。

 しかし一方で、小説家の実存の営為たる小説は、その小説家が生きた特定の時代と社会と土地、そして人間と渾然一体となって在る。それゆえに年月が経てば、そこに立ち上がっていた空気感や匂いやざわめきなどのすべてが色褪せ、ときには陳腐化し、もはや何が描かれているのか分からないという状態になることは避けられない。

 時代を越えて読まれる小説が人間や社会のあれこれを普遍化しているとすれば、野間の小説はあえて普遍化を拒絶して、特定の人間AとそのAが生きる町、歩く道、そのときAを捉えていた感情や生理の一つ一つを描くのである。

 だから、読者は「暗い絵」で戦前の学生たちの下宿の息苦しい空気感に触れ、「顔の中の赤い月」で終戦直後の東京の雑踏を彷徨う帰還兵の、戦死者たちの幻影にまとわりつかれた焦燥を肌で感じるのだが、私を含めて野間の読者は世代的に、そうした野間の時代感覚をある程度共有していたのは間違いない。

 ひるがえって今日、若い世代には野間の描きだす全身体的戦争体験や、そこからくる内的必然などは理解できるはずもないが、それでも野間の小説空間の、官能的なほどの言葉の濃密さはいまも色褪せることはない。その意味で、たとえ内容は古びるとも、野間は時代を越えて圧倒的に小説家なのである。

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髙村 薫(たかむら かおる)
作家。『黄金を抱いて翔べ』でデビュー。主な著書に『マークスの山』『レディ・ジョーカー』『晴子情歌』『太陽を曳く馬』『冷血』『空海』など。
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髙村 薫

最終更新:10/15(土) 14:01

現代ビジネス

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