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奥州・平泉の中尊寺で自害していなかった!? 源義経生存説の謎

BEST TIMES 10/16(日) 11:00配信

平安期より奥州を支配していた藤原氏。産出量の豊かな金山を持ち、莫大な資金力で東北の覇者として君臨していた当時の名門だが、源義経の支援者としても知られている。源平合戦の末期、兄の源頼朝より逆賊とされた義経は、この藤原氏を頼って平泉へと落ち延びたが、そこで追っ手に捕まり自害したというのが通説。しかし、この地で自害したというのは頼朝を欺くための方便で、実は大陸に渡って生き延びたという伝説があるのだ。

 

父・源義朝、母・常盤御前との間に生まれた義経は、源氏が平氏との争いに敗れたため、人質生活から幼少期を京都・鞍馬寺にて過ごすことになる。ここでもカラス天狗に武術を仕込まれた話や、五条大橋での武蔵坊弁慶との対決など、数々の伝説を残している。いずれは僧にすべく義経を生かしていた平清盛ではあったがその意に反して、幼名を遮那王と名乗っていた義経は奥州・藤原氏を頼り、やがて伊豆で挙兵した兄・頼朝とともに平氏を討伐することになる。その後、官位を兄に無断で拝命したことなどを原因とし、追われる身となった義経は、平泉で自害した、というのが通説なのだが、その後、彼は大陸に渡りジンギスカンになったという異説が囁き続けられているのだ。

そもそも、こうした話が浮上することになったのは、奥州・藤原氏の力が、膨大であったことに起因する。藤原氏の権力が広く及んでいたのは、東北地方だけではなかった。蝦夷ヶ島(北海道)へもその影響力があり、広く交易も盛んだったという。その交易圏は北海道全域だけではなく、サハリン地域にまで及んでいた。逆賊義経を討伐するために押し寄せた頼朝軍ではあったが、これに抵抗する藤原一門は、稀代の英雄である義経を、当時の交易ルートから大陸へと逃した、というのがこの異説が囁かれる理由だ。

華麗なる身のこなしで、全盛を誇った平氏の軍勢を蹴散らし、武家社会の礎を築いた一役を担った義経。当時のヒーローであった彼を、伝説の人物として語り継ぎたいという想いが、可能性のなかから生まれた異説になったのだろうか。その死を誰かが確認したわけではない源義経だが、もしかすると生きながらえて、大陸の覇者となったというロマンが史実なのかもしれない。

   

文/OFFICE-SANGA

最終更新:10/16(日) 11:00

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