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忌みの名は。――対照的な二編の「方広寺鐘銘事件」

本の話WEB 10/16(日) 12:00配信

 大坂の陣のきっかけとも伝えられる方広寺鐘銘事件。鐘に刻まれた「国家安康」の文字は家康の諱(いみな)を二つに割っている、これは呪いだ――と徳川方がイチャモンをつけたという有名な事件で、『真田丸』では片桐且元の口からこの顛末が語られた。いやもう且元が不憫でなあ……ちゃんと草案見せたじゃん、その時はOK出たじゃん! というくだりは我が身のことかと泣くサラリーマンも多かったのではないかと。

 ところで『真田丸』で、銘文を考えた清韓は良かれと思って趣向としてわざわざ家康の名を入れた……てな展開を見て驚いた視聴者もけっこういたのではないかしらん。だってこれまでの時代劇では、家康の名が入ってるなんて豊臣方は気づいてもなかったのに、徳川方が一方的に難癖をつけたと描かれてきたから。

 でも現存する史料によると実際に清韓は、徳川のイチャモンについて「家康の字を隠し題に入れた」「喜んでもらえると思った」と弁明しており、今回のドラマの方が研究結果に則ったものなのだ。

 じゃあなぜこれまで徳川方が一方的にでっち上げたみたいに描かれていたのかというと、『駿府記』という史料を下敷きにしてたから。まあ、どっちにしろ徳川方の〈わかった上での言いがかり〉なのは一緒なんだけどね。『駿府記』では家康が金地院崇伝と板倉重昌を呼んで「この言葉って不吉じゃね?」と告げたことになっている。が、家康の発案というより誰かが入れ知恵したような書かれ方になっているらしい。

 このあたりを〈徳川の影の参謀たちによるドス黒い策略〉として書いたのが司馬遼太郎『城塞』(文藝春秋『司馬遼太郎全集28-29』)だ。その参謀たちとは、金地院崇伝、林道春(羅山)、天海の三人である。いやもうこれが、司馬御大、よっぽどこの三人が嫌いだったんだろうなあというヒドい書かれ方なのだ。

三人の悪謀家による「こじつけ」合戦

『城塞』での「鐘銘」の章は、いきなりこんな文で始まる。

「この時期、家康の隠居所の駿府城には、三人の坊主頭がいそがしげに出入りしている。毎日のように寄りあつまっては悪智恵をつくりだしているのだが、三人のうちでは『金地院崇伝』がその方面の達人であったであろう」

 最初から悪役である。他にも「坊主頭の悪謀家」だとか「悪国師」だとか「悪謀の技師」だとか、まあ容赦ない。

 だがこの三人が梵鐘の銘文を読みながら「こじつけねばならない」と相談するくだりは、実に面白いのだ。「国家安康」に家康の文字が入っているので、皇帝の諱を使うのは避けるという習慣を盾にすればいいと天海が言えば、崇伝は「君臣豊楽」も使えると言う。まるで競うように「こじつけ」を出し合うのである。

 笑ったのはここだ。道春が「右僕射源朝臣」は源朝臣ヲ射ルと訓(よ)めると言う。右僕射とは家康の官名・右大臣を明国風に書いただけなのは明らかなので、崇伝がさすがに「それはむりではないか」と眉をひそめると天海が「(幕府に仕える大博士の)林道春どのがそれをそう訓んだ以上、大明国の解釈はどうであれ、日本国では源朝臣ヲ射ルということになるのだ」

 施政者にとって都合のいい解釈をしてみせる御用学者であり、言葉尻を捉えて言いがかりをつける炎上職人である。400年も昔の話とは思えないというか、人は昔から変わらないというか……。では家康はこれらの文言をどう読んでいたのか? 司馬遼太郎はこう書いている。

「家康にすればこういう漢字の羅列は読めもしなかったし、ましてこんな文章が政略上の手品につかえるとはおもわなかったのである」

 ほんと、とことん容赦ないわ司馬御大。逆に家康が可哀想になってきた。

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最終更新:10/16(日) 12:00

本の話WEB

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