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軽々しく「得意技」と言ってはダメ― 柔道金メダリストが語るこだわりとは

THE ANSWER 10/16(日) 18:34配信

五輪3連覇の偉業達成した野村忠宏さん、「得意技」への強いこだわり

 アジア人史上初となる五輪3連覇の偉業を成し遂げた柔道家・野村忠宏さん。中学、高校と無名ながら大学時代に急成長を遂げ、1996年アトランタ五輪の男子60キロ級で金メダルを獲得。その後、2000年シドニー大会、2004年アテネ大会と勝ち続けた。そんな名選手は多彩な技を仕掛けると同時に、得意の背負い投げで一本勝ちを連発したこともあって「得意技」について強いこだわりがある。

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 中学時代の公式戦初戦で女子選手に敗れるなど、当初は思うような結果が残せなかった野村さん。名門・天理高に進学する際は同校で柔道部監督を務めていた父・基次さんから「無理して柔道を続けなくてもいい」と言われたこともあった。

 苦しんだ10代。その状況でなぜ柔道を続けられたのだろうか。そこには背負い投げという“原点”があったのだという。

「柔道を続ける上での喜びの一つは背負い投げだったんです。道場を開いていた祖父に最初に教えてもらった技だったということと、試合で到底勝てそうもない相手を投げられたから、なんです。大好きな背負い投げを信じて、真剣に磨き続ければいつかすごい選手になれるんじゃないかと思っていました」

 中学入学時の体重はわずか30キロ台、高校入学時も43キロと線の細いままだった野村さんは、稽古中に「100キロくらいの相手と打ち合いや乱取りをすること」も珍しくなかったという。圧倒的な体格差に苦しむことも多い中で、背負い投げを磨き続けることこそが自身の存在意義を証明することにつながると考えていたのかもしれない。

大学2年生で「本物の得意技」に

 そして野村さんは「唯一自分を支えてくれた可能性」と信じていた背負い投げを磨き続け、大学時代に急成長。結果、五輪チャンピオンにまで駆け上がった。だからこそ、得意技に対する思い入れも非常に強い。

「大学2年くらいになって背負い投げが自分にとっての本物の得意技になりました。ただ、弱い相手をただ投げ飛ばすだけのものを得意技と言ってはいけないと思います。時には強い相手に対して大逆転することができたり、ピンチの時に救ってくれるものこそが得意技と言えるんです。もちろん、そこまでのレベルに磨き上げるのは難しいんですけどね」

 そんな野村さんは今夏、大塚製薬株式会社が取り組む「ポカリスエット エールと、ともに。 ブカツ応援キャラバン」の一環で、神奈川県の桐蔭学園高を訪問し、全校生徒対象の講演会と柔道部への指導を実施。その際、柔道部員に自身の得意技である背負い投げをつり手、引き手、足の動きなどのテクニックを伝授していた。

 連覇を目指したシドニー五輪では相手に研究されたこともあって「自分の柔道に変化をつけていかないと、と考えて技の幅を広げていくことにした」と振り返るが、「背負い投げが軸になっていたのは間違いない」。自分の立ち返れる原点こそが背負い投げ――。柔道史に残る偉業達成の裏には絶対的な得意技の存在があった。

ジ・アンサー編集部●文 text by The Answer

最終更新:10/16(日) 18:34

THE ANSWER

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