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香山リカが「沖縄差別」を考えるため高江に向かった【後編】

週刊SPA! 10/16(日) 9:10配信

(前回のあらすじ……8月31日から9月2日まで沖縄県北部の東村(ひがしそん)・高江集落に行ってきた。アメリカ軍が建設を進めているヘリパッドへの住民による抗議活動とそれへの機動隊による警備をこの目で見るためだ。

⇒写真1~4

 高江には全国から500人ともいわれる機動隊が投入され、異常なほどの過剰警備の状態が続いているときいていたが、現地で目にしたのはまさにその「圧倒的多数の権力」と「少数の一般市民」とが対峙している姿。

 そして、ついに建設現場に砂利を搬入するトラックを監視する自家用車の隊列に加わっていた私も、機動隊員に走行を止められ、その場からの移動を禁じられるという事態に陥ったのだ。スマホも通じないところで、弁護士などに相談することもできない。

 その場に止め置かれて2時間、ついに道路の彼方から砂利を積んだトラックが10台ほどの隊列を組んで現れ、路肩に立たされている私たちの横を悠然と通り過ぎて行った)

 炎天下での2時間に及ぶ拘束で疲れきっていたにもかかわらず、何人かは声を振り絞って「来るな!」「建設は違法!」などと叫んでいた。しかし、そんな声でトラックが止まるはずもなく、隊列は道のかなたに消えて行った(写真1)。

「このために私たちはずっと立たされていたのか」と悔しい気持ちがわき出ると同時に、「やれやれ、ようやく動ける」と正直に言うと安堵するほど私は疲れていた。すでに時間は10時。なるべく早くこの場を離れて那覇に向かい、以前から約束していた新聞社やテレビ局の記者たちに会った後、飛行機で東京に戻らなければならないのだ。

 しかし、トラックが去ったにもかかわらず、いっこうにクルマの前輪にはめられたアングルがはずされることはない。「どうしてですか」と尋ねても、相変わらず機動隊員からの返事はない。その場にいる人たちから、「トラックが砂利を下ろして戻るまで、動かさないつもりだよ」という声が上がった。

 結局、それからトラックは3回ほど砂利の積み場所と建設現場を往復し、その間、私たちはずっとそこにとどまっていなければならなかった。拘束は8時から11時までの約3時間に及んだ(写真2)。

 いちばんきつかったのは、からだ以上に「人間扱いされない」「個人として見てもらえない」ということだった。機動隊のリーダーは、私たちを「アレ」と呼んでいた。「ほら、アレも見てろよ」と命じると、部下が上司からアゴで示されたほうに駆けて行って、クルマの回りを歩いている男性や山の斜面を上がろうとしている女性のそばにピタリと貼りつく。そして、それ以上、移動しようとすると「動かないで」と制止するのだ。

 私の場合、先に記したような“事情”もあった。那覇でのメディアとのアポや飛行機の時間である。しかし、「この後、仕事があるのですが」などといくら語りかけても何の反応も返ってこない。私も「アレ」のひとり、というかひとつにしかすぎず、個人的な事情や立場などはいっさい考慮されないのだ。そんな中、メディア関係者だけは移動が許可されているらしく、1時間にひとりほどそのあたりを通過する。東京でも何度か世話になっているIWJの腕章をつけた記者がやって来たときは、思わず「私、香山リカというのですが」と名乗りながら声をかけてしまった。

 その記者は直接の知り合いではなかったが、私の名前を知っていたようで「え、香山さん、こんなところでどうしたのですか。よかったら状況をインタビューさせてもらえませんか。あとから動画を流しますので」ときいてくれた。私は、ようやく「アレ」から「香山リカ」と固有名や顔を持つ存在になれたのがことのほかうれしく、ほっとしてカメラに向かって現在の状況をやや多弁がちに語ってしまった。

 そのように3時間にも及ぶ拘束は、突然、終わりを迎えた。

 道の向こうから、高江の抗議活動を見守るボランティア弁護団の中でももっとも活躍している若手・小口幸人弁護士が白いマイカーに乗って颯爽と現れ、現場の機動隊の隊長と交渉。私がいた場所から50メートルほど離れていたのだが、“担当”の機動隊員があとをついて来るのを感じつつ、できる限り近寄った。「これは任意なの?」「これから○○さんに法的根拠があってのことかをきいてみるから」などといったフレーズが聞こえてくる。

 それからしばらくして小口弁護士が「N1裏テント(抗議の拠点のようになっている仮設テント)で確認してまた知らせに来ます」と言い残してその場を立ち去ると、まわりから「弁護士の先生は移動できてどうして私たちは動けないのですか」「いま先生も任意と言ってましたよね」といった抗議の声がこれまで以上に上がるようになった。そして、誰かが「道を戻るのもダメなの?」と言うと、あっさりと「戻るなら」と許可が出たのだ。

 その時点で時計は11時を回っており、これから那覇に向かっても記者とのアポは間に合わないが、飛行機には乗れる。それにまず、秘書に電話を入れないと「朝から仕事の連絡がつかない」と困惑しているだろう。そこで期せずして3時間以上をともにすごすことになった“仲間”たちへのあいさつもそこそこに、同乗者に頼んで名護のバスターミナルまで急いで向かってもらうことにしたのだ。

 名護ターミナルまで高江から1時間、そこからさらにバスで那覇まで1時間半。バスの中でターミナルの売店で買ったお弁当(写真3)を食べ、各所に連絡を取り、やっと人心地着いた。なんだか先ほどまでの「名前も顔も奪われた3時間」が夢のようだ。

――いや、しかし夢ではない。あれが高江の現実なんだ。

 バスの中で、何度も自分にそう言い聞かせた。そして思った。

――それにしても、何もせずにただクルマを走らせていただけなのに、なぜ私たちはあそこで止められ、何時間にもわたって問答無用で動きを止められたのだろう。

 おなかがいっぱいになり、エアコンのきいたバスの車内で落ち着いてくると次第に怒りがわいて来た。一連のできごとをツイートすると、「テロリスト予備軍なのだから警戒されるのは当然だ」「あなたがやったことが違法行為だからです。勤務先の大学に報告しました」といったリプライばかりが返ってきて、この拘束じたいの理不尽さを指摘する意見はごく一部であった。もちろん、多くの人たちがコメントなしでリツイートしてくれたところを見ると、「これはおかしい」と思っている人も少なくなかったに違いない。しかし、「なぜ沖縄でこんな人権侵害が?」と激しい怒りをあらわす人はあまり多くないのだ。

 とはいえ、私も高江に来るまでは、座り込みのゴボウ抜きを見ても住民が集会を行っているテントに機動隊員が隊列を組んで入ってきて通過した、といったツイートを見ても、どこか「ああ、また沖縄でこんなことが起きている」としか思わずにやりすごしそうになったことを、正直に記しておこう。

 そこで「これはたいへんなことだ。沖縄の人たちだけがたいへんな苦労を強いられている」と思うためには、自分に何度も「もしこれが東京だったらどう? 昨年、SEALDsが呼びかけた集会のど真ん中を機動隊員が突っ切っていったとしたら?」などと言い聞かせては確認しなければならなかった。おそらく私の中にも、どこかで「沖縄は別」「沖縄だから仕方ない」という構造的な沖縄への差別意識が根付いていたのだろう。それは「おかしいこと」と本当の意味で気づくためには、自分が不当に何時間にもわたって拘束され、人間扱いもされない、という経験を身をもってするしかなかったとは、少々情けない。

 このように私の短い高江での滞在は強烈な反省で終わり、私はまた東京の日常に戻ってきた。

 私が帰った数日後、同じように道路を走っていた在日朝鮮人女性の劇団主宰者のクルマの前を警察車両が遮り、女性は公務執行妨害の疑いで逮捕された。女性はクルマから降りるように命じられ、道路に伏せるよう言われ手錠をかけられたという(裁判所が勾留請求を認めず翌々日には釈放)。本人はもちろん、まわりで見ていた人たちもたいへんなショックを受けた、とそこに居合わせた人から後日、聞いた。

 何度も言うように、抗議の市民ができることは限られており、圧倒的な力の機動隊、防衛局の前にはほとんど無力である。この間も高江の工事は着々と進んでいる。

 9月22日、ついに業を煮やした市民たちの中に、米軍北部訓練場の敷地内と思われる森の中に入って森林伐採の現場で抗議する人たちが出てきた。そこで防衛局員とせめぎ合いになり逮捕され、延長が認められていまだに勾留が続いている(10月13日現在)人もおり、今後も逮捕者が出るおそれがあるという。

 そうでもしなければ、工事の進行を少しでも遅らせることができない。しかし、逮捕者続出となれば「抗議活動が過激すぎるのでは」と言われ世論を味方につけることはむずかしくなる。抗議の市民たちはいま、これまで以上にむずかしい局面に立たされているのだ。

 ここで強調したいのは、日米安保下の基地のあり方、といった大局的な問題ではない。

 ここまで書いてきたことを、どこか「遠い外国の話」のように感じながら読んできた人に、言いたいのである。あなたがネットで自由に読みたいものを読み、注文したいものを注文しているのも日本。そして、「自分たちが住んでいる地域を静かなままにして」と抗議するだけで機動隊員にゴボウ抜きで排除されたり、逮捕の危険にさらされたりする状況が続いたりしているのも、日本なのだ。

 なぜ、「沖縄なら仕方ない」のか。

 なぜ、「沖縄での紛争は日常茶飯事」なのか。

 それを説明できるどんな理屈にかなった答えも、私たちは持ち合わせていないはずだ。

 午前中は高江で拘束されていたのに、夕方には着いた那覇空港では、そこではいつものように観光帰りの家族連れやビジネスマンでにぎわっていた。ぼんやりとおみやげを見ていた私のスマホが鳴った。「高江からか」と緊張して出ると、向こうから明るい女性の声が聞こえてきた。

「セルジオ・ロッシのショップでございます。修理を依頼されたお靴ができ上がってきましたので、いつでもお越しください。お修理代のほう、ちょっとかさんでしまいまして2万円ほどになります」

 セルジオ・ロッシというのはとても高級な靴で知られるイタリアのブランドで、私はそこでかなり前に6万円もする靴を購入した。たいへんに気に入っているのだがときどき傷がついたりして修理を依頼しなければならず、そのたびごとにまたかなりの代金になってしまうのだ。

「ありがとうございます。近々うかがいます」と答え、私は電話を切った。

 そう、6万円の靴を買って2万円で修理をしてもらい、好きなときに取りに行けるのが、いまの日本なのだ。

 一方で、機動隊員に「動かずに」と言われ、何時間でも制止されるのもこの日本でのできごとだ。

 一方は完全に自由で、一方は完全に不自由。あたりまえのことだが、そのあいだをパスポートもビザもなしに一日のうちで行き来することができる。

 それはやっぱり、とても異常なことなのではないだろうか。そのことだけは強く強く確信している(写真4)。

文・写真提供/香山リカ

日刊SPA!

最終更新:10/16(日) 9:10

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