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東大よりプリンストン 「渋幕」「渋渋」の進学実績を急上昇させた“秘密兵器”

NIKKEI STYLE 10/17(月) 7:47配信

 東京大学など難関大学の進学実績を急速に伸ばしている渋谷教育学園幕張中学・高校(渋幕、千葉市)と同渋谷中学高等学校(渋渋、東京・渋谷)。両校とも新興の中高一貫の共学校だが、2016年の東大合格者は合計で100人を突破した。しかもハーバード大学やプリンストン大学など米名門大学の合格者数も全国トップクラス。両校の創始者で校長も兼任する田村哲夫氏は、東大卒の銀行マンだったが、定時制が主体だった都内の女子校を継承し、わずか30年余りで全国有数の進学校に飛躍させた。
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 「先日、プリンストン大学に通っているうちの卒業生が話していましたが、日本の高校からこの大学に進学した大半の学生は渋幕か渋渋のOB・OG(または出身)だそうです」。田村校長はこううれしそうに話す。
 16年の東大合格者は渋幕が76人、渋渋が30人。その2年前の14年は渋幕48人、渋渋14人だった。「渋谷教育学園両校は、ここ数年で最も躍進した首都圏の進学校。新興の共学校では最強だ」と大手塾関係者は口をそろえる。聖光学院高校を神奈川県トップの進学校に押し上げた工藤誠一校長も「しっかりしたリーダーによる学校経営を実践している」という。ライバル校からの評価も高い。
 1学年の生徒数は渋幕が340人前後、渋渋が200人前後だから、対卒業生の東大合格比率は15%~20%強になる。ただ筑波大学付属駒場高校、灘高校、開成高校の東大合格トップ3の比率40~50%には及ばない。渋谷教育学園両校の真骨頂は、米国中心に海外の有力大学に多くの合格者を輩出していることだ。16年は渋渋が39校、渋幕が28校の海外大学に合格、国内の高校では圧倒的な実績だ。

■プリンストン大やコロンビア大、イェール大……

  東京の若者の街、渋谷と原宿の間にある渋渋。その職員室前の廊下の壁には、プリンストン大学やコロンビア大学、イェール大学など米名門大のペナントが所狭しと貼られている。帰国した卒業生らが持ち寄ってくるという。ハーバード大に合格しながら、プリンストン大に進学した卒業生もいる。なぜ渋谷教育学園から多くの学生が米国の有力大学に進学しているのか。
 田村校長は「東大もいいんですが、若いときに最低1年は米国等に留学した方がいい」と強調する。その理由を「米国はある意味で、日本以上に学歴社会だ。名門大の同窓生との人脈が後々にビジネスでも効果を発揮する。中国や韓国などアジアのエリートも米国に留学する人が多い。グローバル社会でリーダーになるには米国留学は武器になる」と語る。
 もともと田村校長は、麻布高校から東大法学部に進学し、1958年に住友銀行(現在の三井住友銀行)に入行した銀行マンだった。海外赴任を目指し、外国為替部門に配属された。しかし、父親が経営に携わっていた渋谷女子校(当時)から手伝ってほしいと懇願され、3年余りで銀行を辞めた。色々な問題も抱えており、進学校とはほど遠い存在だった。過半が定時制に通う生徒だが、昼間部の生徒は勉強熱心とはいえなかった。しかし、定時制の生徒は違った。大半が准看護師だったが、学習意欲が極めて高かったという。定時制の教師は慢性的に不足しており、田村氏は教師として様々な担当科目を受け持った。東大卒のエリート銀行マンはこのとき、教育者として開眼した。
 「昨年、ノーベル賞を受賞した大村智先生は私と同年配だが、定時制高校の教師をやっていた時期があるそうです。一生懸命勉強する生徒たちに触発され、『俺もやらねば』と決意し、大きな研究成果を上げていった。私も同じ気持ちになった」。田村校長はこう話す。30歳代で校長に就任、「全国でも最も若い校長」と呼ばれ、教育向上にまい進した。国内初の情報処理学科もつくった。同校のレベルは徐々に上昇した。だが田村校長の描く理想の学校をつくるのは難しかった。
 都内には伝統校や名門校がひしめいている。そこに好機が到来した。1980年代を迎えるころ、第2次ベビーブームによる生徒の増加で首都圏に新規校を開設するチャンスが来た。選んだのは「幕張新都心」として都市開発がスタートした千葉市湾岸部。こうして83年に誕生したのが渋幕だ。

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最終更新:10/17(月) 7:47

NIKKEI STYLE

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