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兵馬俑の職人、ギリシャ人芸術家が訓練か

ナショナル ジオグラフィック日本版 10/17(月) 7:40配信

広さは山手線の内側に匹敵、姿を見せ始めた巨大陵墓

 中国北部の土の中から謎のやきものの像が最初に発見されてから、今年で40年あまりになる。考古学者たちは、これらの像が、中国最初の皇帝である秦の始皇帝(紀元前259年~紀元前210年)の陵墓の副葬品であることを明らかにしたが、土の中に隠されていた秘密はそれだけではない。発掘調査からは歴史書を書き換えるような大発見もあったし、外国人の芸術家が中国人の職人を訓練したとする大胆な新説も生まれた。

金属製の矢じりが突き刺さった頭蓋骨の写真

 多くの王国に分かれていた中国を初めて統一し、氏族を基にした封建制に終止符を打った秦の始皇帝は、中国史の中でひときわ大きく輝いている。彼が建設した万里の長城は、その強大な権力の象徴だ。

 しかし、始皇帝の最も驚くべきプロジェクトが初めて明らかになったのは、1974年のことだった。秦朝の首都だった咸陽(かんよう)の近くで井戸を掘っていた農夫たちが、土の中から奇妙な像をいくつも掘り出したのである。その後の発掘調査により、これらは皇帝の陵墓を永遠に守護するために周囲に埋められた兵馬俑の一部であることが明らかになった。俑とは、死者を守るために共に埋められる人形のことだ。発掘された3つの巨大な坑には、数千体の兵馬俑が整列していた。兵馬俑の造形は、それまでに中国で発掘されていたどの俑とも違っていたため、研究者たちを大いに悩ませた。兵馬俑を製作した芸術家たちは、どうしてこんなアイディアを思いついたのだろうか?

 謎を解くためのヒントになりそうな発見もあった。芸人をかたどった「雑技俑」や、青銅製のカモ、ハクチョウ、ツルの像には、ギリシャの影響が見てとれる。そして、中国北西部の遺跡から出土した人骨からはヨーロッパ人のDNAが確認されているのだ。

 一部の専門家は、これらの事実を考え合わせ、兵馬俑は外国の芸術家からインスピレーションを得て作られたのではないかと唱える。マルコ・ポーロより1500年も前に、ギリシャ文化の影響を受けた西アジアから中国にやってきた芸術家が、始皇帝陵の副葬品を製作する中国の職人たちを指導していたのかもしれないというのだ。

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最終更新:10/17(月) 7:40

ナショナル ジオグラフィック日本版

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