ここから本文です

関係者をゆする“新聞”…『薔薇の名前』文豪のスリリングな遺作

Book Bang 10/17(月) 8:00配信

 ある作家が大著ばかり書くエーコに、「すべての分厚い本には、そこから抜け出したがっているスリムな本がいるはずです」と言った、という話があるのだが、遺作はなんと、本文一九九ページという、この作者にしては極めてスリムな本だ。

 主人公は大学中退後、校正係、持ち込み原稿の下読み、ゴーストライターなど職を転々とするが、五十をすぎて、ある新聞に記者として拾われる。「ヌメロ・ゼロ」とは、新聞の創刊前のパイロット版。時は一九九二年、汚職と不正の天国だったイタリアの政界に「きれいな手(マーニ・プリーテ)」と呼ばれる検察の捜査が入り始めたころ。この新聞「ドマーニ」(明日を意味)は、どうやら過去のことを報じる「旧聞」らしい。例えば、編集長は四月にこう言う。「今年の二月十八日の新聞をつくろう」。前日の十七日といえば、社会党要人の元に収賄捜査の手が及んだ日。「ドマーニ」はその後の一連の動きと真相を早々に「予見」した記事を後付けで書き、関係者をゆする。叩けば埃の出る大物たちは「なんたる慧眼の新聞!」と恐れ、潰しにかかるために大金を積む……という目論見。

 ところが、主人公の同僚が謎を孕(はら)む数々の事件――フォンターナ広場爆破、ヨハネ・パウロ一世の急逝、二世の狙撃、バチカン銀行のスキャンダル――を繋ぐリンクを見つけだし、ムッソリーニ絡みの世紀のスクープを掴んだという……。

 冒頭からショパン、ポー、ムージル、メルヴィル、ダリオ・フォーらの引用、引喩が鏤(ちりば)められる。「ドマーニ」は伊政府の「また明日、話そう」という先延ばし姿勢を皮肉っているらしい。まるで、スカーレット・オハラのようだと思ったら、ラストには本当に彼女の名セリフが出てきてびっくりした。

 新聞社のメンバーとその出資者以外は全員実名、史実に即しており、その点も至ってスリリング。エーコ一流の風刺が圧縮された最後の一冊だ。「スリムな本」の威力をご覧あれ。

[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家)
※「週刊新潮」2016年10月6日号掲載

SHINCHOSHA All Rights Reserved.

最終更新:10/17(月) 8:00

Book Bang

記事提供社からのご案内(外部サイト)

Yahoo!ニュースからのお知らせ