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龍馬とおりょうの恋愛秘話に、遠距離恋愛成就のコツ発見

nikkei BPnet 10/17(月) 9:32配信

 多くのビジネスパーソンにとって、転勤は避けて通れないプロセスといえるでしょう。しかし、「今、まさに恋愛中」といった場合は悲劇です。恋人と遠距離恋愛に突入するか、さっぱり別れるか、二者択一を迫られてしまいます。

 そこで今回は、坂本龍馬とその妻おりょう(お龍)の恋愛時代のエピソードを深掘りしたいと思います。というのは京都に、離れ離れになった二人を結び付けた秘話が語り継がれており、その話には遠距離恋愛を成就させるヒントが垣間見えるのです。

 エピソードが語り継がれているのは京都市中京区の静かな住宅街に佇む「武信稲荷神社」。地元で龍馬とおりょうの“秘密のデートスポット”と伝わるところです。早速、どんなエピソードなのか、ご紹介しましょう。

●龍馬とおりょうの“秘密のデートスポット”

 現在の静かな佇まいからは想像できませんが、江戸時代、「武信稲荷神社」の南隣には幕府直轄の「六角牢獄」が置かれており、幕末には勤王の志士(天皇を敬う志士たち=幕府と対立していた尊王攘夷派)が多数収容されていたそうです。

 幕末の「安政の大獄」の際には、勤王の医師とみなされた、おりょうの父・楢崎将作も収監されており、おりょうは龍馬とともに「武信稲荷神社」に高くそびえる榎に登って、牢獄の中の様子をうかがっていたと伝えられているのです。言い換えれば、こういうことです。

 坂本龍馬とおりょうは恋愛時代、おりょうの父が収監されている「六角牢獄」の様子を見るために「武信稲荷神社」でデートを重ねていた。

「おりょうの父の様子を見る」ことを口実に

 武信稲荷神社には高さ23m、胸高幹周り4m、樹冠は東西22m、南北26mにも及ぶ巨大な榎があり、京都市天然記念物に指定されています。樹齢約850年といわれていますので、龍馬とおりょうが登っていたころは樹齢700年くらいだったでしょう。すでに立派な枝を四方に伸ばす巨木だったことは間違いありません。

 そんな榎を見上げていると、少し照れながら二人で木に登った様子が想像できます。もしかしたら、まだ胸がときめく恋愛初期で、「おりょうの父の様子を見る」ことを口実にデートを重ねていたのかもしれません。なんとも初々しいではありませんか。

 しかし、龍馬ファンの方は疑問に思うことでしょう。そう。一般的に広く知られている龍馬とおりょうの出会いは、おりょうの父が亡くなった後、おりょうが困窮する一家を支えるために旅館で働いているころとされているのです。

 ただ、よく考えてみれば、坂本龍馬が世に紹介されたのは、1883年(明治16年)のこと。高知の「土陽新聞」で龍馬を主人公にした伝記小説「汗血千里駒」の連載が掲載されたのが最初でした。その後、司馬遼太郎が名作「竜馬がゆく」で描いたことで全国に知られています。裏を返せばそれまでは歴史に埋もれていたということです。

 いつの時代も、詳細な記録が残されているのは時の権力者だけなのですから、当たり前のことです。龍馬についても大きな足跡を示す資料や手紙は遺されていても、恋愛のプロセスまで記した史料は無いと考えていいでしょう。だとすれば龍馬とおりょうが出会った時期にも根拠はないはずです。今、知られている話は、司馬遼太郎の手腕でドラマチックに描かれたものである可能性も否定できません。

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最終更新:10/17(月) 9:32

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