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巨万の富「アホウドリ」で拡大した日本領土

Wedge 10/18(火) 12:20配信

 地図を広げて、わが国の領域を眺めると、最東端の南鳥島から西へ、小笠原諸島、大東諸島、尖閣諸島などが点在しているが、これらの島々のおかげで、経済的主権のおよぶ排他的経済水域は大きく広がっている。領海と排他的経済水域を併せた面積は世界第6位である。

 一体、これらの島々は、いつから、どのような背景で、わが国に編入されたのだろうか。

 実は、筆者は今から40年以上前、沖縄本島の東に位置する大東諸島に滞在し、地理学のフィールドワークを行ったことがある。台風情報でおなじみの南大東島を主な研究対象とした。3カ月間、聞き取り調査を行ったが、訪ねた農家の方々の名字が「菊池さん」や「細田さん」など、沖縄姓とは異なる本土姓の方がおられるのに気づいた。沖縄県の離島になぜ本土姓が存在するのか。これらの人々は、明治後期に八丈島から2000キロメートル余りの航海を経て、南大東島に上陸した人々の子孫であった。

 伊豆諸島の八丈島から、はるか遠い沖縄の島になぜ上陸したのか。私の質問に、彼らは口を揃えて「農業をやるため」と答えた。農業のために長い航海をして、絶海の無人島の断崖絶壁を登り、上陸する必要があったのだろうか。何か釈然としないものが残った。

 その後、調査を進めると、鎖国から解放された明治以降、小さな船を操り、数々の危険を冒して、日本周辺の無人島に漕ぎ出した人々がいたということがわかってきた。彼らは大海原を越えて、大東諸島のみならず、広く太平洋の島々にまで進出していた。

 彼らを大海原に駆り立てた原動力は何だったのか。この謎を解くため、八丈島や沖縄の島々でフィールドワークを行う一方、公文書館などで長年にわたり資料収集を続けた。

 その結果、意外な結論に辿り着いた。太平洋に漕ぎ出した日本人の原動力となったのは、巨額の富をもたらす「アホウドリ」だったのである。

富豪への近道「無人島探検」の広がり

 明治初期まで、秋になると日本周辺の無人島には、数多くのアホウドリが飛来していた。この鳥は両翼の長さがおよそ2・4メートルという太平洋で最大級の海鳥で、人間を恐れないことや、飛び立つ際に助走が必要なこともあり、簡単に捕獲された。

 1876年(明治9年)に、わが国の領土になった小笠原諸島でも、多くのアホウドリが生息していた。しかし、移住者の急増とともにその多くは捕獲され、羽毛は横浜の商人に売られ、卵は本土に移出された。

 当時、小笠原開拓に従事していた八丈島の大工、玉置半右衛門は、いち早く、このアホウドリの価値に注目した。1887年(明治20年)、島が真っ白になるほどアホウドリが飛来する伊豆諸島南端の鳥島に進出し、組織的なアホウドリの捕獲事業を開始している。

 その捕獲方法は、棒を使った撲殺で、1日に一人当たり100羽、200羽は容易に捕獲でき、1902年(明治35年)の鳥島大噴火までの15年間で、およそ600万羽を捕獲した。その羽毛量は1200トン、売上金額は約100万円で、年平均にすると約6・7万円であった。当時の総理大臣の年俸が1万円の時代にである。玉置の年収は4万円程度であったと推測されるが、これを現在価値に換算すると10億円である。アホウドリを撲殺して羽毛をむしり取るだけの玉置の事業は、莫大な利益をもたらしたのである。

 大富豪になった玉置は、『実業家百傑伝』(1892~93年)などの立志伝に名前が挙げられるなど、実業家として、一躍、時の人になった。さらに、著名なジャーナリストの横山源之助は、1910年(明治43年)刊行の『明治富豪史』の中で、富豪になる方法として、御用商人、土地成金などとともに「無人島探検」を挙げている。当時、アホウドリの捕獲は、富豪になる方法の一つであった。

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最終更新:10/18(火) 12:20

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