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今季引退・カープ黒田博樹がプロで生き残れた強さ――環境に適応、日米球界を代表する選手へ

ベースボールチャンネル 10/18(火) 19:00配信

プロ入団直後は苦しい成績

 黒田博樹は、元南海、高橋などの外野手だった黒田一博が50歳のときに生まれた次男である。
 兄はビジネスマンの道を歩んだが、博樹は父が監督を務める「オール住之江」に入団し、野球の道を歩む。強豪・上宮高校に進むが、甲子園出場はかなわず。専修大学に進学後、急速に実力を蓄え、当時、神宮球場に設けられたスピードガンで150キロを記録。「東都リーグ最速の男」の異名をとる。
 1996年ドラフト会議で、黒田は広島東洋カープに2位指名(逆指名)を受けて入団する。
 当時の黒田は確かに有力選手ではあったが、この年のドラフトの目玉は、内野手の井口忠仁(のち資仁)、投手の澤崎俊和、捕手の清水将海という「青山学院の三羽烏」だった。
 井口はダイエーに、清水はロッテに、そして澤崎は広島に、それぞれ逆指名1位で入団。特に澤崎は先発投手陣が手薄な広島にあって、開幕からローテーションを担う投手と目されたが、黒田への期待は澤崎と比べると決して大きくはなかった。
 プロ入り後の二人の成績が以下の通り(※澤崎の引退まで)。


 1年目、澤崎は期待にたがわず12勝を挙げ、新人王に輝く。黒田も規定投球回数に達したが、数字では見劣りした。
 二人ともに2年目は成績が低迷、澤崎は3年目にクローザーに転向するが、以後、右ひじの度重なる故障のために9年で引退する。

 黒田は故障こそ少なかったが、シーズン2ケタ勝利を挙げるまでに5年を要している。黒田は、セリーグの最多完投を6回も記録するなど、抜群のスタミナを誇る一方、登板にむらがあったのも事実。1イニング当たりの走者数であるWHIPが、先発投手の標準とされる1.30を大きく上回ることも多かった。
 しかし澤崎が引退した2005年に15勝で最多勝のタイトルを獲ったあたりから急速に投球内容が向上。WHIPは1点フラットまで改善され、以後はリーグ屈指の好投手へと成長を遂げる。
 そして、2007年に黒田博樹もFA権取得。MLBへの移籍を決断する。

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最終更新:10/18(火) 19:00

ベースボールチャンネル