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観光客がベネチアを台無しにする

ナショナル ジオグラフィック日本版 10/19(水) 7:40配信

歴史ある“水の都”が単なるテーマパークになりかねないと専門家が警鐘

 イタリアのベネチアにとって最大の脅威といえば、かつては洪水だった。今も洪水が危険なことに変わりはないが、それよりも大きな害をもたらすのが、津波のように押し寄せる観光客だ。世界的に著名な美術史家、サルバトーレ・セッティス氏は、新著『もしベネチアが死すなら(If Venice Dies)』の中で、そう訴えている。市民は急騰する家賃に耐えられず街を逃げ出し、座礁の危険がある巨大なクルーズ船が海岸まで迫り、さらにはベネチアのテーマパークを街のすぐ外に建設しようという計画まで提案されている。

【写真】サンマルコ広場を埋め尽くす観光客

 ベネチアはこの街の市民にとってのみならず、全人類にとって重要な場所だと語るセッティス氏に、その現状と課題について聞いてみた。

――あなたは観光客のことを、ベネチアを破壊する「疫病」の一部だと述べていますが、私たちはベネチアに行くべきではないのでしょうか。

 ベネチアを訪れたいという人が多いということ自体は、悪いことではありません。私が異を唱えたいのは、市民でない人が街に入るために、「入場料」をとろうという動きがあることです。もしそうなったら、ベネチアはその時点でテーマパークになってしまいます。それこそが、私が最も望まない事態です。

 一方でベネチアは、単なる観光用の都市ではありません。かつてのベネチアの繁栄は、この街と市民が数百年間にわたり活発な生産活動を続けていたからこそ実現できたものです。現在のベネチアで同じことができていない理由は何でしょうか。今日では、1日におよそ2.6人の市民が街を離れています。現在の人口は5万4000人で、これは過去50年間に12万人が減少した計算になります。

 ベネチアの生活費は日々上昇を続けています。若い世代はアパートを借りることも買うこともできず、近郊の街へ引っ越していきます。市民がベネチアを見限れば、ここは単なる観光地となり、ベネチアの魂は失われるでしょう。

――あなたはベネチアが「忘我」の危機にさらされていると警告していますが、これについて説明していただけますか。

 現在、ベネチアに迫る最も恐ろしい危機は記憶の喪失です。はるか昔、古代ギリシャで最も繁栄した都市であるアテネもその道をたどりました。アテネは完全に記憶を失い、中世になる頃には街の名も、それがどこにあったのかも忘れ去られました。市民は栄光の時代の文化も記憶も失い、ときおりビザンチウムからの旅人が「ソクラテスが教えを説いていた場所はどこだ」と尋ねても、それに答えられる者はいませんでした。

 現在のベネチアで起こっている、こうした忘却を示す最たる例が、数年前に公表されたある計画で、これは潟に浮かぶ小島にベネチアの歴史を再現するテーマパークを建設しようというものです。しかしベネチアは、街自体が歴史を語っているのです。この街の歴史を伝えるために、偽物のドゥカーレ宮殿を造る必要などありません。ここには本物のドゥカーレ宮殿があるのですから。

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最終更新:10/19(水) 7:40

ナショナル ジオグラフィック日本版

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