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KinKi Kidsには“歌謡曲”が息づいている 『N album』で示されたグループのありかた

リアルサウンド 10/19(水) 7:03配信

 歌謡曲(Jポップではなく)というものがいまだに息づいているとすれば、それはKinKi Kidsのなかにある。このような言いかたをするのは、筆者のなかに、ひとつの歌謡曲イメージがあるからである。それは、歌謡曲は土着的である、というものだ。

 本連載においては、KAT-TUN「KISS KISS KISS」のレビューで同様のことに触れているが、1997年、すでにテレビで活躍していたKinKi Kidsが満を持して「硝子の少年」を発表したとき、筆者は妙な古臭さに驚いたことを覚えている。その古臭さの正体こそ、マイナー調の土着的なラテン要素であった。同じジャニーズで言えば、同時期のSMAPの楽曲なんかは、あらゆる土着的な要素を切り捨て、ニッポンの洋楽になろうとしていた。同じラテンのスタイルを採用すると言っても、「Hi-Fi」(『SMAP 011 ス』収録)などのように、ソフトロックの延長で発見されたようなラテンラウンジ的なノリになっている。同じラテン風味と言っても、そこには、かつてのムード歌謡にあったような、うねるような土臭いラテン感がないのだ。もう少し言えば、KinKi Kidsは「Back Fire」(『D album』収録)という曲があって、これは完全にKC&ザ・サンシャイン・バンド「ザッツ・ザ・ウェイ」を元ネタにしている。対してSMAPは、同じようなディスコ周辺の曲を参照するにしても、ナイトフライト「ユー・アー」など、もっとアーバンなものを選ぶ。KC&ザ・サンシャイン・バンドのような土臭いファンクの要素は、切り捨てられるのだ。SMAPと並列すると顕著だが、KinKi Kidsの特徴とは、歌謡曲的な独特な土着性である。どんな曲を歌っても、KinKi Kidsはアーバンになりきらない。それは、彼らのねっとりとしたボーカルがすでに、かなり土着的だからもしれない。

 KinKi Kidsのニューアルバム『N album』には、フラメンコ調の「薔薇と太陽」が収録されているが、この曲はその意味で、往年のKinKi Kidsにふさわしい曲である。作詞作曲は吉井和哉で編曲は船山基紀。メロディーといい歌詞世界といいアレンジといい、かなりコンセプチュアルな曲だ。このような世界観を作り上げるのが吉井和哉というのが面白い。THE YELLOW MONKEYは、歌謡曲がJポップとなって等身大化していくなか、グラムロックを志向しながら歌謡曲的なロマンを抱えたバンドだったからだ。本作は、この先行シングルを中心にして、KinKi Kidsの魅惑的な世界が広がる。なかでも、本作において、吉井と並ぶ功労者は、共同プロデュースをつとめた堂島孝平だろう。堂島は、「nakid mind」「モノクローム ドリーム」「陽炎~kagiroi」「夜を止めてくれ」「なんねんたっても」の5曲に関わっているが、どれも、古き良き歌謡曲的なアイドルポップスを現在の耳でも耐えうるような最新のサウンドにアップデートしている。とくに、洗練されたシティポップの装いながらもマイナーな歌謡曲感を残す1曲目「nakid mind」が、とにかく素晴らしい。イントロの時点で、アルバム全体の楽しさを予告しているようだ。あるいは、BPM速く軽薄な感じで進んでいく「夜を止めてくれ」なんかは、エイティーズのアイドルポップスの感覚もありつつ、音作りは現代のディスコも意識している。

 歌謡曲でありつつ、最新の音楽でもあること。それはすなわち、KinKi Kidsのありかたそのものと重なっている。単にまかされている曲数が多いから功労者なのではなく、吉井と同様、彼の楽曲がKinKi Kidsのありかたをよくつかんでいるからこそ、堂島孝平は『N album』における功労者なのだ。ちなみに、アウトプットされるサウンド自体は少し異なるが、これは、堂島による西寺郷太とのアイドルユニット、Small Boysの影響もあるのかもしれない。いちリスナーとして外から眺めていると、ジャニーズ音楽の熱烈なファンである西寺との活動が、アイドルにおける音楽がどのようにあるべきか、ということを意識的にさせたような印象もある。

 というか、素朴なことを言ってしまうが、大事なのは対象への愛なのだろう。漏れ伝わってくる感じだと、堂島のKinKi Kidsに対する愛はとても強く深い。そういう人が、これまでのKinKi Kidsと向き合ったうえで繰り出した一手。そういう一手は、おうおうにして強いのだ。

矢野利裕

最終更新:10/20(木) 0:12

リアルサウンド

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