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須藤理彩が辿り着いた夫婦の境地「話せなくても目で分かる」

女性自身 10/19(水) 6:01配信

「12日に神奈川県内で行われたお通夜には、350人ほどが参列しました。須藤さんは喪主として一生懸命、気丈に振る舞っていました。ハンカチをきつく握りしめて弔問客に丁寧にお辞儀をされていましたが、目には涙があふれていました……」(参列した音楽関係者)

須藤理彩(40)の夫で2人組ロックユニット「ブンブンサテライツ」のボーカル川島道行さん(享年47)が10月9日、脳腫瘍のため亡くなった。川島さんは19年前に脳腫瘍を発症。4度の再発と3度の手術を乗り越え音楽活動を続けてきたが、帰らぬ人となった。最愛の夫を看取った須藤は、事務所を通じて書面で胸中をこう綴った。

≪大雨の降る中、まるで歌いだすかのごとく大きくブレスをとり、川島道行は永遠の眠りにつきました。一度きりの人生でこんなにもたくさんの人生を生き、そしてそれぞれでかけがえのないものをしっかり残してくれました。運命を受け入れ、もがきながらも懸命に音を奏で続けて生き抜いた川島道行を、誇りに思います≫

須藤が川島さんとの結婚生活を送った10年間は、二人三脚で病気と闘う日々でもあった。98年、NHK朝ドラ『天うらら』のヒロインとして一躍人気女優になった須藤。その前年の97年にヒロインの発表があり、事実上、これが彼女のデビューだった。

「川島さんがブンブンサテライツとしてメジャーデビューしたのが、97年。その直後に脳腫瘍を発症したそうです。ですから、奇しくも須藤さんがデビューしたときにはすでに“未来の夫”は病を抱えていたことになります」

ベルギーでCDがリリースされるなど海外でも評価されていた川島さん。須藤が結ばれたのは06年。“相当の覚悟”を持っての結婚だった。

「結婚2年前の04年に蜷川幸雄さんの舞台出演していた須藤さんは、共演者の寺島しのぶさんに相談したこともあったそうです。なにせ、そのときはもう川島さんは脳腫瘍を発症して7年近くたっていましたから。結婚生活が何年続くかまったく先が見えないなか、彼と家庭を築く決断をするのは大変なことです。悩みに悩んだ末、それでも彼女は川島さんを支えながら一緒に生きていくことを決めたのです」(舞台関係者)
 
そんな須藤の不安は、非情にも現実のものとなってしまう。次女がようやく1歳を過ぎた12年の年末、夫の脳腫瘍が再発したのだ。これが3度目の発症だった川島さんは、長時間にわたる開頭手術を受けた。須藤は“奇跡”を信じて献身的に看病し続けたという。

「今年に入ってからは、ゆっくりしゃべるのがやっと。春以降は、まったく話せなくなってしまったんです。バンドの盟友・中野さんでも意思疎通が難しいのに、須藤さんは『彼が何を言いたいのか目でわかる』と言っていました。実際そのとおりで、みんなで『すごいね』と感動してたんですよ。須藤さんは『たとえ会話をしなくても同じ空気を共有できるのが家族。黙っていても互いに分かり合えるようになって初めて“本物の夫婦”になれる』と。結婚10年で、須藤さんは川島さんと本物の夫婦、家族になったんです」(音楽関係者)

不自由な体を押して5月に最後のアルバムをリリースした川嶋さん。須藤は刻々と死に近づきながらも音楽を作り続ける夫へ、ありったけの愛と感謝を伝え続けた。そして16年10月9日、午前5時12分。須藤と2人の娘たちに見守られ、川島さんは天国に旅立った。結婚するときから、この日が来ることを覚悟していたとはいえ、須藤が喪失感から立ち直るには時間がかかることだろう。しかし、彼女には夫が残してくれた“宝物”がある。

「川島さんの闘病中からですが、仕事でどんなに遅くなっても須藤さんは必ず家に帰って娘さんたちと過ごすようにしているようです。娘さんたちも『ママ、大変だね』と、深夜でも起きて待っていてくれていることも。『家族がいるから仕事も頑張れる』と言っていますから、今後はもっと仕事に打ち込むことでしょう」(芸能関係者)

与えられた命を生き切った夫が残したもの。その大きさを噛みしめながら、須藤はこれからも子供たちとともに明るくたくましく生きていくに違いない――。

最終更新:10/19(水) 6:01

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