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「日本化」の集大成となったザックJ。岡田Jからの昇華。W杯を勝ち抜くこととの乖離【西部の4-4-2戦術アナライズ】

フットボールチャンネル 10/19(水) 10:20配信

 アトレティコの躍進を受けて、復活の感がある4-4-2システム。Jリーグで頻繁に採用される一方で、意外にも日本代表ではそれほど使われてこなかった。だが、ザッケローニ監督時代は3-4-3をオプションとして備えながらも、4-4-2の変形システムである4-2-3-1をベースにチームを作っていった。オシム時代より続く「日本化」の方針にも継続性があったが、W杯では厳しい現実を突きつけられることとなる。(文:西部謙司)

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日本のサッカーを尊重したザッケローニ

 南アフリカワールドカップ後、岡田武史監督の後任探しは難航した。従来とは違う監督の探し方をしていたからだ。

 それまでの代表監督選びはコネクション重視だった。日本と縁もゆかりもない人物を招聘したファルカン、トルシエという例もあるが、オフト、加茂、岡田、ジーコ、オシムの“川淵人事”は、基本的にコネをたぐっての人選だ。コネというと聞こえが良くないが、人物や手腕をよく知っている監督を選ぶのは人事としては普通である。

 原博実技術委員長は、日本代表を任せるのに誰がいいかという視点から、全くコネのないところから探し始めた。ペジェグリーニ、ビエルサ、バルベルデという有名監督が噂にのぼったものの決定には至らず、ひょんなところからザッケローニが候補に浮上した。当初の人選にはなかったが、初のイタリア人監督の誕生となった。

 アルベルト・ザッケローニはウディネーゼで名を上げ、ミラン、ユベントス、インテルのビッグクラブを率いた。歴代監督の中でも最も華麗なキャリアの持ち主である。しかし、ザッケローニ監督は自らの考え方を押しつけなかった。日本にすでにある日本のサッカーを尊重した形でチーム作りを行った点で、それまでの監督とは一線を画している。

 ザッケローニが尊重したのは、原代行監督が率いた日本だ。手続きが間に合わず、新生チームの立ち上げにあたる親善試合の指揮を原技術委員長が執った。岡田前監督からザッケローニ次期監督への引き継ぎ役なので、戦術的な規制もなく、いわば素のままで2試合を行い、パラグアイとグアテマラに連勝していた。

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最終更新:10/19(水) 10:20

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