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映画『怒り』に残酷なレイプシーンは必要か?

ダ・ヴィンチニュース 10/19(水) 11:00配信

※当コラムは映画『怒り』のネタバレを含みます。

 ある個人的な集まりで現在ヒット中の映画『怒り』が話題にのぼり、「あの映画、私はちょっと……」と首を横に振る20代女性がいました。それまでこの映画については好意的な声しか聞いたことがなかったので、どの点が「ちょっと」なのかを尋ねたところ、「レイプシーンが」と返ってきたのでした。

 居合わせたほかの女性からも、「(『怒り』にかぎらず)レイプシーンは観たくない、映画でわざわざ残酷なシーンを描く必要はない」と声が上がりました。その時点で同作品を未見だった私にはそのシーンのがどれほど残酷なのか見当がつかなかったものの、嫌悪感がありありと浮かんだ女性たちの顔を見て、よほどのレベルであると推察しました。

リアルで残酷なレイプシーン

 レイプシーンであれ何であれ、個人の「観たい/観たくない」を判断基準として、「描くべきではない」とするのは非常に危険なことです。当然ながら映画をはじめとするすべての表現において、レイプ、性犯罪、性暴力の類が軽々しく扱われるべきではありませんが、制作側には時としてそれを押してなお伝えたいことがあるはずです。そこに考えをめぐらせることなく「描くべきではない」というのは思考停止に近いのではないでしょうか。

 遅ればせながら観た『怒り』は、評判に違わないものでした。愛情とは本来、信頼とセットであるはずのものなのに、それが「疑い」と結びついてしまったときに生まれる、むき出しの感情。疑われていることを知りながらも、失いたくない関係や居場所。そして、自分のなかに抱えておけないほど強い怒りを感じたとき、人はどうするのか……。

 そのなかでレイプシーンは、重要な役割を担っていました。それは、被害者にとってだけでなく身近にいる人たちにとっても残酷すぎる出来事でした。そのシーンによって、私たちは多くのことを知ることができます。まず第一に「強姦は魂の殺人」であること。そして「強姦される側にも問題がある」「本気で抵抗すれば逃げられるはずだ」などの“強姦神話”がいかに間違っているかということ。

性暴力への想像力を高める

 舞台は沖縄。被害者となる登場人物は、繁華街に遊びにいき夜道を歩くうちに米兵がたむろする一角に迷い込み、そこで加害者から目をつけられます。彼女は事情があってそのあたりを歩きまわっていたのだから落ち度はなく、たとえ何かしらの過失があったところでそれが強姦されていい理由になるはずもありません。非力な女性が屈強な米兵にふたりがかりで抑えつけられて、どうして抵抗できるでしょう。それは「なんの罪もない」女性に突然加えられた、理不尽な暴力でした。

 圧倒的に残酷なそのシーンを一度目にすれば、観る側の想像力が飛躍的に高まります。悲しいことに、人の想像に力は限界がある……というより、人はみずからが体験したこと以外にはほんの少ししか想像力が及ばないものなのだと感じます。

 たとえば事件が起きれば「女性が暴行された」「強姦された」と報道されますが、その無機質な文字列から加害の残酷さ、身勝手さ、被害者がそのとき感じた恐怖、一生抱えていくであろう痛み、二度と戻らない日常、そして映画のタイトルにもある強い「怒り」……こうしたものを詳細に想像し、当事者と同じレベルで共感するのは至難の業です。

間接的、比喩的な表現は有効か?

 筆者は日頃から意識して性犯罪、性暴力についての記事や書物に目を通していますが、「その場で起きたリアル」に対する自分の想像力はなんてちっぽけなものなんだろうと痛感させられることが、しょっちゅうあります。想像力の欠如はセカンドレイプにつながりやすく、たいへん危うい状態です。特に沖縄での暴行事件を見聞きしたときは、恥ずかしいことですが、「国際問題」「基地問題」へのアンテナが先に立ってしまい、そこで踏みにじられたひとりひとりの女性についての想像が後回しになってしまうことがあります。

 映画においては、そのもののシーンを描かずに事後の様子によって被害を伝えたり、何らかのメタファーに託して観客に何が起こったかを推し量らせたり、といった手法もあります。しかし、まるで自分の眼前で行われているようなリアリティでもって描く強姦現場によって、やっと想像できる怒りや痛みがあり、それが映画の文脈において必然であるかぎり、そのシーンを「描くべきではない」ものだとは感じませんでした。

「描くべきでない」というなかには、どんな残虐なレイプシーンでもそれに対して性的興奮を覚える人たちへの嫌悪もあるでしょう。しかし、一部の異常な人のために、強いメッセージ性のあるそのシーンが省かれるとすれば、それはもったいないことだと感じます。

性暴力サバイバーへの配慮

 それは観る側の覚悟が求められるシーンでもあります。覚悟以前に“観ないほうがいい”人もいます。冒頭で言及した集まりにおいて、「レイプシーンを見ると、具合が悪くなる」と訴える女性もいました。その女性がそうだったというわけではないのですが、被害から生き延びた性暴力サバイバーの方がこうしたシーンがあるとは知らないまま映画を観賞した場合、フラッシュバックなどが起きて心身にダメージを受けることが考えられます。

 現在、全国順次公開中の映画『月光』は性暴力の残酷さとそこからの再生を描いた話題作で、なかでもレイプシーンの生々しさが話題となっていますが、予告編の冒頭で「過酷な描写をしたシーンがございます」と告知しています。本作が性暴力そのものを主題としているのに対して、『怒り』はそうではなく、さらにそれをあらかじめ告知することはネタバレにもなってしまうので極めてむずかしいことではありますが、個人的には何らかの配慮がなされてもいいのではないかと思います。

文=citrus三浦ゆえ

最終更新:10/19(水) 11:00

ダ・ヴィンチニュース

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