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「グローバリズムと戦後日本の精神風景」(後編)~姜尚中(政治学者)【6】

nikkei BPnet 10/19(水) 9:44配信

 政治学者の姜尚中氏とフォトジャーナリスト安田菜津紀氏がグローバリズムの正体に迫る後編。グローバル化は全世界に内戦的状況を作り出すと同時に、文化的な境界領域を横断する。都市が押し付けた画一的な世界観からいかに脱するか。そのヒントを探った。

(構成=高島三幸 対談写真=村田和聡)(「グローバリズムと戦後日本の精神風景」(前編)はこちら)

安田 特に同じことが東京で起きたときにどうなるのかと考えるんです。東京は人口が多いからとか、首都だからという理由ではなく。東京のように地域社会のつながりが希薄な中で大きな災害が起きたらどうなるのか。例えば、陸前高田の漁師町であれば、おすそ分けがいまだ日常の中にあり、お互いに食料を融通しあい、助け合いながら支える文化がある。けれども、東京であれば完全に人々が孤立してしまう危険性があると思うんです。

姜 それは大切な視点かもしれないですね。ただね、日本の場合は、そうした地方都市ばかりではないと思うんです。例えば秋田県は人口10万人当たりの自殺者が全国で一番多い。広大な水田を持って豊かな自然があるにも関わらず、子どもたちは何をやっているかといえば、家でゲームをしている。地方都市ほどモータリゼーションが進んでいるのは、そういう手段がないと人が交わることができないからなんです。地方都市では駅前商店街は寂れて、モノカルチャー型の大型店舗が郊外にできて、そこしかたまり場がないという悲惨な状況が生まれている。

明治以降の貧困対策の根にある労働至上の人間観

姜 明治以降の日本における貧困や都市の変化をみていくと、人間を生かすためにどういう都市設計をするかとか、どうしたら制度として社会が手を差しのべていけるのか、という発想が希薄なんです。

 明治以降の貧困対策をみていくとよく分かるのは、その根っ子にある、ある種の労働至上の人間観です。人間はみんな頑張ればそこそこの生活ができるはずだ、頑張らないのは倫理的にもとっているんじゃないのか、という倫理観です。

 生活保護を受けていても、むしゃくしゃしているときはパチンコ屋に出入りしたくなることだってあるかもしれない。それはあったとしても不思議じゃない。しかし、行政はそれを一つひとつチェックして、生活保護を受けているのにけしからんと言うわけです。

 戦後の高度成長時代に、終身雇用のもと、企業が家族を丸抱えするようなある種の村社会が出来上がってきた。しかし、97年の経済破綻から一挙にその状況が変わってきた。今では貧困率が16%を超え、子どもがティッシュペーパーに石を包んでかじるなんて話がごろごろ出てきてるわけです。

 人間は完全に資本化できないから、その再生産をどこかでしなければいけない。それが家族であったものが、崩壊してしまっている。

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最終更新:10/19(水) 9:44

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