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末期癌の医師・僧侶が語る空海「重々帝網名即身」の解釈

NEWS ポストセブン 10/20(木) 7:00配信

 2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月であることを自覚している医師・僧侶の田中雅博氏による『週刊ポスト』での連載「いのちの苦しみが消える古典のことば」から、「空海」の「重々帝網名即身」という言葉の解釈を紹介する。

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 弘法大師空海の著作『即身成仏義』の中に八句からなる「即身成仏」の詩文があります。その四番目の句が「重々帝網名即身」です。

「帝網」は帝釈天の珠網です。『華厳経』では、帝釈天の宮殿を装飾する網の各結び目には珠玉がついています。各々の珠玉の表面は鏡のように他の珠玉を映し合っています。これらの珠の一つが自分自身であり、他の無数の珠の各々が仏陀の身であり、また衆生(多くの人々)の身に対応しています。自身・仏身・衆生身の三つが平等(自己執着を捨てた状態)ということを表しているのです。

 空海は、この「重々帝網」という譬喩で、「即身」という状態を示したのです。現代であれば、帝網に代わってインターネットが譬喩として使われるでしょう。世界中に張りめぐらされたネットワークは無数のサーバーで繋がっています。そして各端末から発せられた情報はたちまち世界中に拡散されます。

『華厳経』は、様々な作家に影響を与えてきました。宮沢賢治さんの児童小説『インドラの網』(インドラは帝釈天の梵語)では、「空のインドラの網のむこう、数しらず鳴りわたる天鼓」と、帝網に天の太鼓の響きが重なっています。そして物語の場所は華厳経が編纂されたコータン(かつてシルクロード沿いにあった仏教王国)に設定されています。

 華厳経の最後にある「入法界品」は、善財童子(善い財宝という名の少年)が曼荼羅に入る旅の物語で、南へ向かって53人の善友を訪ね歩きます。これに因み、江戸時代に東海道五十三次は江戸(穢土)から京(浄)への旅と解釈されました。

 ミヒャエル・エンデは華厳経を読んで児童小説『ネバーエンディング・ストーリー』を書いたようです。彼は鈴木大拙の著作を愛読したと言っています。鈴木大拙は華厳経を英訳して出版しました。エンデはドイツ人ですから、土井虎賀壽のドイツ語訳華厳経も読んだかもしれません。

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最終更新:10/20(木) 7:00

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