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独立リーグの「牛飼い球団」に、 なぜマニー・ラミレスが来ちゃうのか

webスポルティーバ 1/12(木) 12:11配信

 アメリカの野球ファンは、かつてよくこう口にしたものだった。「マニーはやっぱりマニーだ」と。「彼に対しては、そうとしか言いようがないんだ」とアメリカに住む私の友人も言う。

【写真】高知ファイティングドッグスから阪神復帰した藤川球児

 気ままな言動と決して模範的とはいえない素行から、マニー・ラミレスがボストン・レッドソックスをリリースされ、ロサンゼルス・ドジャースに移籍したのは2008年。その翌年の夏、調整のためにプレーしたA級の試合でいきなり場外に叩き込んだ姿に、その友人はまたしてもそのセリフを吐かずにはいられなかった。

「オレにはマイナーでの調整なんていらねぇんだよ」と言わんばかりの一発を放ったマニーは、すぐに本来プレーすべき場であるメジャーへと戻っていった。しかし、その頃すでにマニーは往年の輝きを失っていたのも事実だ。そして2011年、マニーは開幕直後に引退を表明する。39歳だった。

 翌年、彼は再びフィールドに戻ってきたものの、シーズンの半分も続かず、自ら契約破棄を申し出た。しかし、それが”引退”ではなかったことは、そのオフに故国・ドミニカ共和国のウインターリーグに参加していることからも明らかだった。

 その翌年には、台湾プロ野球の義大に入団し、人気低迷に悩む台湾リーグの観客動員を一気に上向かせ、”マニー旋風”を巻き起こしたが、「家族との時間を大切にしたい」と、前期シーズン終了後に帰国し、テキサス・レンジャーズとマイナー契約を交わした。

 このときも、アメリカの野球ファンは「マニーはやっぱりマニーだ」と受け入れたが、もはやメジャーに彼の居場所はなかった。レンジャーズは彼の力量を見極めるとシーズン終了を待たずにリリース。それでも翌年、マニーはシカゴ・カブスとの契約にこぎつけるが、これもマイナー契約だった。3Aで打率.222、3本塁打のマニーを、カブスも戦力と見なすことができず、打撃コンサルタントという椅子を用意した。

 その後もウインターリーグに参加するなど、メジャー復帰を虎視眈々と狙っていたマニーだったが、これを最後にフィールドから姿を消した。

 そのマニーがフィールドに戻ってくる。しかも舞台は、日本の独立リーグだ。

 1月9日、マニー・ラミレスと四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスとの契約が合意に至ったというニュースが報じられ、野球ファンに衝撃が走った。昨年、ラミレス側から高知入りの希望が発信されたとのことだったが、これは四国アイランドリーグplusがここ数年行なっていたアメリカでのトライアウトをマニーが知ったことから始まったという。当初、突然の指名に戸惑いを見せた高知球団側も、来日3年目、日本語も話せるザック・コルビー内野手に交渉を担当させ、下準備ができた段階で球団オーナーとその弟の副社長が、ラミレスの自宅があるフロリダに出向いて最後の交渉を行なった。

 マニーはNPBへの”昇格”も視野に入れており、契約にはNPB球団から声がかかれば、途中で高知との契約を破棄できるという内容が付け加えられている。

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最終更新:1/12(木) 12:13

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